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サマルカンドはウズベキスタンの歴史都市であり、シルクロードの要衝地として栄えたオアシス都市です。ティムール朝の時代に、青いタイルで装飾されたモスクや霊廟が多く建設され、その美しい青色は「サマルカンドブルー」と呼ばれています。
歴史的建造物と真っ青な空のコントラストが美しい サマルカンドは「青の都」とも呼ばれています。平成13年(2001年)に「サマルカンド-文化の交差路」としてユネスコ世界文化遺産に登録されました。
正倉院にある「白瑠璃碗(はくるりのわん)」と呼ばれるガラスの器は、ペルシャなどの西方で作られたものが、シルクロードを通って、日本へもたらされたのではないかと言われています。シルクロードは、ユーラシア大陸の東西を結ぶ交易路であり、西方の文物や文化がこの道を通って東端の日本に伝えられました。
ウズベキスタンの歴史都市サマルカンドは、シルクロードの中継地として栄えたオアシス都市であり、「中央アジアの真珠」とも呼ばれています。
サマルカンドを代表とする周辺オアシス都市の出身であるソグド人たちは商才に長けており、シルクロード交易の中心を担っていました。ソグド人の隊商は、中央アジアを通って中国に向かいました。ソグド人が運んだ商品は、馬・ガラス製品・毛織物・金銀・琥珀・香料・薬草・植物(ブドウ・クルミ・ゴマ・キュウリ)などで、一方、中国からの主な輸出品は絹でした。
また、これらの物だけでなく、シルクロードを通じてさまざまな言語・情報が行き交い、宗教や天文学・医学・製紙法・養蚕・印刷術・音楽などあらゆる文化技術が交流するネットワークとしての役割を果たしていました。
レギスタン広場 |
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シャーヒズィンダ廟群 アフラシャブの丘の南部にある聖地で、今も巡礼で訪れる人の姿が絶えない場所です。きれいなタイルと細密なモザイクで装飾されたティムールゆかりの人々の霊廟とモスクが一直線に建ち並んでいます。 シャーヒズィンダとは「生ける王」という意味であり、7世紀にイスラム教布教のためサマルカンドを訪れたクサム・イブン・アッバースがこの地に眠るという伝説に由来しています。 |
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グル・アミール廟 |
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ビビハニム・モスク |
※写真は全て駐日ウズベキスタン大使館提供
平成30年(2018年)に、駐日ウズベキスタン特命全権大使から奈良市長表敬訪問の申し出があり、またサマルカンド市長からは、姉妹都市提携を打診する親書が届きました。
翌年には、奈良市を訪れた駐日ウズベキスタン特命全権大使と仲川市長の間で、奈良市とサマルカンド市の交流についての意見交換が行われました。これを受けて奈良市がサマルカンド市との交流提携についての文書をサマルカンド市長へ送りました。
令和元年(2019年)には、サマルカンド市長から、国際音楽フェスティバル「シャルク・タロナラリ」への招待状が届き、仲川市長がサマルカンド市を訪問。この訪問の際、サマルカンド市役所にて、教育・文化・観光分野での相互交流を目的とした「日本国奈良市とウズベキスタン共和国サマルカンド市 両市間の都市間交流に向けた覚書」を締結しました(令和元年8月26日)。
令和4年(2022年)10月18日からサマルカンド市で開催される「サマルカンド市の日」を記念するイベントへ奈良市長及び市議会を招待したい旨の書簡が届き、この訪問機会に合わせて、両市の交流を更に進めていくため、姉妹都市提携を結びました。(令和4年10月18日)
仲川 奈良市長(前列左)とファスリディン・ウマロフ サマルカンド市長(前列右)
<締結日:令和4年(2022年)10月18日>
【協定書】 【盟約宣言】