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サマルカンド市(ウズベキスタン)との交流

更新日:2022年2月18日更新 印刷ページ表示

令和元年に「都市間交流に向けた覚書」を締結しました

覚書締結の経緯

 平成30年(2018年)に、ガイラト・ファジロフ駐日ウズベキスタン特命全権大使から奈良市長表敬訪問の申し出があり、またF.ラヒモフサマルカンド市長からは、姉妹都市提携を打診する親書が届きました。
 翌年には、奈良市を訪れられたファジロフ大使と仲川市長の間で、奈良市とサマルカンド市の交流についての意見交換が行われました。これを受けてサマルカンド市との交流提携についての文書を、大使館を通じてサマルカンド市長へ送り、両市の提携への動きが始まりました。
 そして令和元年には、サマルカンド市長から、第12回国際音楽フェスティバル「シャルク・タロナラリ」への招待状が届き、仲川市長がサマルカンド市を訪問しました。この訪問の際、仲川市長とボブルミルゾ・オブラクロフ市長は、サマルカンド市役所にて、教育・文化・観光分野での相互交流を目的とした「日本国奈良市とウズベキスタン共和国サマルカンド市 両市間の都市間交流に向けた覚書」を締結しました。

[覚書締結の様子]

覚書締結時の写真
ボブルミルゾ・オブラクロフ サマルカンド市長(左)と仲川 奈良市長(右)
<締結日:令和元年(2019年)8月26日>

[都市間交流に向けた覚書]

奈良市とサマルカンド市の覚書

サマルカンド市について

概要

 サマルカンドはウズベキスタンの歴史都市であり、シルクロードの要衝地として栄えたオアシス都市です。ティムール朝の時代に、青いタイルで装飾されたモスクや霊廟が多く建設され、その美しい青色は「サマルカンドブルー」と呼ばれています。
 歴史的建造物と真っ青な空のコントラストが美しい サマルカンドは「青の都」とも呼ばれています。平成13年(2001年)に「サマルカンド-文化の交差路」としてユネスコ世界文化遺産に登録されました。

シルクロードの交流

 正倉院にある「白瑠璃碗(はくるりのわん)」と呼ばれるガラスの器は、ペルシャなどの西方で作られたものが、シルクロードを通って、日本へもたらされたのではないかと言われています。シルクロードは、ユーラシア大陸の東西を結ぶ交易路であり、西方の文物や文化がこの道を通って東端の日本に伝えられました。
 ウズベキスタンの歴史都市サマルカンドは、シルクロードの中継地として栄えたオアシス都市であり、「中央アジアの真珠」とも呼ばれています。
 サマルカンドを代表とする周辺オアシス都市の出身であるソグド人たちは商才に長けており、シルクロード交易の中心を担っていました。ソグド人の隊商は、中央アジアを通って中国に向かいました。ソグド人が運んだ商品は、馬・ガラス製品・毛織物・金銀・琥珀・香料・薬草・植物(ブドウ・クルミ・ゴマ・キュウリ)などで、一方、中国からの主な輸出品は絹でした。
 また、これらの物だけでなく、シルクロードを通じてさまざまな言語・情報が行き交い、宗教や天文学・医学・製紙法・養蚕・印刷術・音楽などあらゆる文化技術が交流するネットワークとしての役割を果たしていました。

おもな名所

 
レギスタン広場の写真

レギスタン広場
 サマルカンド市内の中心部にある、三方をメドレセに囲まれた広場です。メドレセとは、アラビア語で「教育と学習の場」を意味し、レギスタンとはウズベク語で「砂の場所」を意味します。
 青いドームの建物が青い空に映え、まさに「青の都」の名に相応しい景観です。

シャーヒズィンダ廟群の写真

シャーヒズィンダ廟群
 アフラシャブの丘の南部にある聖地で、今も巡礼で訪れる人の姿が絶えない場所です。きれいなタイルと細密なモザイクで装飾されたティムールゆかりの人々の霊廟とモスクが一直線に建ち並んでいます。
 シャーヒズィンダとは「生ける王」という意味であり、7世紀にイスラム教布教のためサマルカンドを訪れたクサム・イブン・アッバースがこの地に眠るという伝説に由来しています。
グル・アミール廟の写真

グル・アミール廟
 ティムール朝の建国者であるティムールとその家族が眠る霊廟です。グル・アミールとはペルシャ語で「王の墓」という意味です。
 青いドームがひと際目を引く建物の外装壁は青や碑文を記した幾何学模様のタイルで美しく装飾されています。

ビビハニム・モスクの写真

ビビハニム・モスク
 中央アジア最大級のモスクであり、外壁の周囲が167m×109m、ドーム部分の高さは40mにもなります。インド遠征から帰国したティムールが建設したモスクで、彼の妻ビビハニムの名が採られています。
 当時の紀行文によると、モスクの建設に使う貴石を98頭の象でインドから運ばせたといわれています。その後の地震などで崩壊していましたが、昭和49年(1974年)から修復作業が始まり、現在も修復が続けられています。

 ※写真は全て ウズベキスタン大使館提供

関連情報

 

 

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