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多賀城市(宮城県)

更新日:2020年4月10日更新 印刷ページ表示

提携年月日2010年(平成22年)2月6日

多賀城政庁跡

多賀城政庁跡の画像

多賀城市章

多賀城市章の画像

多賀城碑

多賀城碑の画像

多賀城市の基本情報

  • 人口 62,365人(令和2年4月現在)
  • 面積 19.69km2
  • おもな行事
    多賀城跡あやめまつり(6月)、「壺の碑」全国俳句大会&多賀城茶会(10月)、史都多賀城・万葉まつり(10月)等
  • おもな名所・旧跡
    多賀城跡附寺跡(多賀城跡及び関連する多賀城廃寺跡、館前遺跡、柏木遺跡、山王遺跡・千刈田地区の総称)、多賀城碑、末の松山、沖の井(沖の石)等
  • おもな特産品・名物
    おもわく伝説(地元産の古代米から醸造したお酒)、多賀城みそ、多賀城碑拓本等
  • 多賀城市役所
    ホームページ:多賀城市公式ホームページ<外部リンク>

多賀城市の概要

 多賀城市は、宮城県の中央部に位置し、市の西部は仙台市と、市の北部は漁港で有名な塩竈市と隣接しています。市の西部や北部には遺跡が集中している一方、仙台港に近い市南部は工業地帯になっています。
 奈良時代、中央政府の東北支配の拠点「多賀城」が設置されました。多賀城は陸奥国を治める国府としての役割に加え、陸奥、出羽両国を管轄する広域行政府であり、さらには蝦夷と呼ばれる人々を中央政府の支配下に組みこむための拠点でもありました
 このように、多賀城は8世紀、現在の東北地方において重要な役割を果たしていたのです。
現存する最古の歌集である「万葉集」の編纂者と考えられている大伴家持は、鎮守府将軍として「多賀城」に赴任し、任地で亡くなっています。
 東北支配の要であった「多賀城」ですが、律令体制の衰退とともに、その役割を終えることとなりました。
 現在の多賀城市は昭和46年(1971年)の市制施行以降、仙台市からのアクセスの良さなどからベッドタウンとしての開発が進んでいます。

奈良と多賀城の交流

 奈良時代、朝廷の東北経営のための拠点として築かれた多賀城は、軍事面では鎮守府、行政面では陸奥国府として西の大宰府とともに大変重要な役割を果たしました。
 平成18年(2006年)10月、多賀城市長が奈良市を訪問し友好都市提携の申し入れをしたことをきっかけに協議を重ね、平成22年(2010年)2月6日、奈良市にて友好都市提携いたしました。