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多賀城市は、宮城県の中央部に位置し、市の西部は県庁所在地である仙台市、市の北部は漁港で有名な塩竈市(しおがまし)と隣接しています。まちの地形は、東西に長く、それを2つに分けるようにして中心部を砂押川が流れています。また、東部や北部には史跡が点在し、海に近い南部の平野には工場地帯が形成され、西部の平野には多くの田畑が広がっています。
奈良時代、中央政府の東北支配の拠点として設置された「多賀城」は、陸奥国を治める国府としての役割に加え、陸奥、出羽両国を管轄する広域行政府であり、さらには蝦夷(えみし)と呼ばれる人々を中央政府の支配下に組み込む重要な役目を担っていました。
現在の多賀城市は昭和46年(1971年)の市制施行以降、仙台市からのアクセスの良さなどからベッドタウンとしての開発が進んでいます。
市の木 さざんか | 市の花 あやめ |
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写真提供:多賀城市
多賀城市は、古代東北地方の政治・軍事・文化の中心地として栄え、江戸時代には仙台藩により名所・旧跡が整備されるなど、今もなお、当時の歴史・文化が息づくまちです。
多賀城跡 奈良・平安時代に陸奥国府が置かれ、奈良時代には鎮守府も併せ置かれた古代東北の政治・軍事・文化の拠点です。奈良県の平城宮跡、福岡県の大宰府跡とともに日本三大史跡とされています。昭和42年には多賀城廃寺跡とともに特別史跡に指定されました。平安時代、都の貴族たちはこの地を「みちのく」の名であこがれ、多くの歌を詠んできました。江戸時代に多賀城碑が発見され、古代の遺跡であることが判明すると、仙台藩の学者や地元の人々によって調査され、保護されてきました。 |
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多賀城碑/壺碑(たがじょうひ/つぼのいしぶみ) 奈良時代に多賀城の修造を記念して造られた石碑です。仙台藩二代藩主伊達忠宗の頃に土中から発見されると、西行らが和歌に詠んだ歌枕ゆかりの地「壺碑」と関連付けられ、有名になりました。この地を訪れた松尾芭蕉は、他の歌枕と違い、昔と変わらぬ姿を留める多賀城碑に感動したことを『おくのほそ道』に記しています。(国重要文化財、国名勝おくのほそ道の風景地、日本遺産) |
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末の松山(すえのまつやま) みちのくを代表する恋愛を象徴する歌枕ゆかりの地です。松尾芭蕉は、松の間に墓が点在する光景を見て、変わらぬ男女の契りも結局は眼前に見るような墓の下に帰してしまうものであると、この世の無常を感じたことを『おくのほそ道』に記しています。 |
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興井(おきのい) 古くは小野小町や二条院讃岐などが和歌に詠んだ歌枕ゆかりの地です。仙台藩四代伊達綱村は、地元の有力者を「奥井守」に任命し、諸役を免除する代わりに興井を手厚く保護させました。松尾芭蕉の旅に同行した曾良も、興井について書き記しています。 |
写真提供:多賀城市
古代米 稲の原種に近い米で、ポリフェノールの一種である「アントシアニン」をはじめ、各種ビタミン、カリウム、カルシウムなどの栄養素を豊富に含んでいます。 |
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しろのむらさき 多賀城市の特産品である「古代米」を使用した、歴史のまち多賀城の新グルメです。お店でじっくり味わいたい自慢の一品からケーキや和菓子などのスイーツ、多賀城でしか買えないお土産品などがあります。 |
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多賀城跡あやめまつり 毎年6月中旬から6月下旬頃に開催され、東北随一800種300万本のアヤメ、ハナショウブ、カキツバタが色鮮やかに咲き誇るまつりです。期間中の土日には、郷土芸能などのステージイベントが行われるほか、出店やおみやげ品の販売、野だて、押し花、切り絵などの体験もできます。 |
写真提供:多賀城市
奈良時代、朝廷の東北経営のための拠点として築かれた多賀城は、軍事面では鎮守府、行政面では陸奥国府として西の大宰府とともに大変重要な役割を果たしました。
平成18年(2006年)10月、多賀城市長が奈良市を訪問し友好都市提携の申し入れをしたことをきっかけに協議を重ね、平成22年(2010年)2月6日、奈良市にて友好都市提携をしました。
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多賀城市の名所やグルメが満載の動画です。歴史のまち「多賀城市」でゆったりと流れる時間をお楽しみください。