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昔、長安に向かった日本からの遣隋使や遣唐使が最初に上陸したところが揚州市でした。
揚州市は、江蘇省の中部、揚子江と京杭大運河の交差点に位置し、中国で最も活気がある「揚子江デルタ」経済圏にあります。穏やかな気候に恵まれており、豊かな四季を楽しむことができます。
また、揚州市は中国優秀観光都市であり、観光資源に恵まれています。美しい江川風景、清時代から残る数多くの庭園屋敷、明・清時代の古城、中国十大名所の一つである痩西湖、中国四大名園の一つである個園、鑑真和上が住職を務めた大明寺、漢代の姿が今も完璧に保存されている「黄腸題凑」式の王陵広陵苑、中国唯一の彫版印刷博物館など、数多くの名所があります。
市の木 柳の木 | 市の花 琼花(ケイカ) |
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大明寺(だいめいじ) 南朝・宋の孝武帝の大明時代に建設が始まったため、大明寺と呼ばれています。仏堂、文化財庭園、教育施設等が集積した千年の歴史を持つ寺院で、国家重要文化財指定史跡かつ国家4A級観光地となっています。 |
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痩西湖(そうせいこ) |
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個園(こえん) |
揚州漆器 |
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揚州玉器 |
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揚州炒飯 ルーツとしては、隋代の献立表「謝諷食経」に「越国食砕金飯」という記述があります。これは「越国(浙江)では砕金飯(金のかけらのような飯)を食べる」という意味で、揚州の蛋炒飯(卵チャーハン)の前身ともいわれています。隋の時代に今日のようなチャーハンがあったかどうか定かではありませんが、その後「砕金飯」は揚州に伝わり、改良され副材料も増え、今日のような揚州炒飯になったとも言われています。 |
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カニみそ獅子頭 |
揚州市は、奈良時代に仏教戒律や薬学などの大陸文化を日本に伝え、奈良の地に唐招提寺を創建した鑑真和上の故郷です。鑑真和上は揚州大明寺の住職を務めていました。
この鑑真和上のご縁により平成14年(2002年)から奈良市と揚州市は友好的な交流を進めてきました。平城遷都1300年となる平成22年(2010年)2月に、仲川げん奈良市長を団長とする友好代表団が揚州市を訪問し、「友好都市締結の覚書」を交わしました。そして同年5月23日に、なら100年会館において、両市は正式に友好都市提携の調印式を行い、経済、文化、観光、人材、スポーツなどの分野で交流を行うことに合意しました。
友好都市提携締結後は、友好代表団の相互訪問、唐招提寺と揚州大明寺の交流等が行われています。
平成30年(2018年)
4月
令和元年(2019年)
5月
令和2年(2020年)
5月
令和5年(2023年)
7月
揚州市は、観光資源に恵まれた中国を代表する観光都市の1つです。揚州市の美しい風景をお楽しみください。
揚州市の見どころやグルメ、アクセスなどが紹介されているパンフレットです。
1.目次 [PDFファイル/206KB]
2.揚州の見どころ [PDFファイル/1.1MB]
3.揚州での宿泊 [PDFファイル/655KB]
4.揚州のグルメ [PDFファイル/969KB]
5.揚州でのお月見 [PDFファイル/654KB]
6.揚州のお土産 [PDFファイル/288KB]
7.揚州へのアクセス [PDFファイル/455KB]
8.イラストマップ [PDFファイル/505KB]