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奈良町は中世以降発展し近世に成立した町々の総称で、奈良のいわゆる旧市街地の大部分と重なります。江戸時代では鹿柵に囲まれるようにして描かれている範囲が当時の「奈良町」です。現在は、まちづくりのうえで、国道369号を境に北の「奈良きたまち」と南の「ならまち」、また、京終駅周辺の3つのエリアにわけられ、それぞれのエリアでまちづくり活動がおこなわれています。
各エリアには、歴史や文化を感じさせる神社仏閣、歴史的な町並み、歴史的建造物を活かした市の施設や、飲食店や雑貨店などがあり、観光客にも人気のエリアとなっています。
奈良時代元興寺の境内だった地域と、柳生に至る柳生街道へと続く東西道を中心とする高畑からなるエリアです。桜井と奈良を結ぶ上街道、柳生街道が交わり、昔から旅人でにぎわっていました。世界遺産元興寺をはじめ、十輪院本堂、福智院本堂、新薬師寺本堂、今西家書院、藤岡家住宅といった国宝や重要文化財に指定された建造物が多く残り、神社仏閣や町々に受け継がれる仏像などの美術工芸品や伝統行事と、古い町家が残る歴史的な町並みを楽しむことができるエリアです。
昭和50年代から歴史的な町並みを活かそうとするまちづくり活動が行われ、昭和60年代には町並み保存が進み、古民家を利活用したカフェができるなど、早くから観光地としても注目されてきたました。現在はたくさんの店舗が出店する人気のエリアとなっています。
登大路通とならまち大通りのあいだのエリアで、近鉄奈良駅からならまち大通りまで南北にアーケードのかかる商店街があります。この辺りは、昔から商店が立ち並ぶエリアで、アーケード通りの下御門商店街、もちいどのセンター街、東向き商店街のほか、三条通、橋本町、今御門町、西寺林町、鶴福院町などにある商店街には、墨、刀、奈良団扇、奈良漬などの奈良の伝統工芸などを取り扱うお店や、飲食店、雑貨店などのお店が立ち並んでいます。また、猿沢池の南には、大正時代から昭和初期にかけて栄えた花街の元林院町や中世に市が立っていたとされる南市町があります。奈良町でも特に細くて狭い入り組んだ路地が多く、この界隈には当時の茶屋建築が残っており、情緒あふれる町並みを楽しむことができます。飲食店も多く出店するエリアでもあり、ランチ、カフェ、夜ご飯など、さまざまなシーンで楽しめます。
きたまちは、登大路通りから平城山丘陵にかけてのエリアで、国宝の東大寺転害門やコスモスで有名な般若寺、能楽の原点とも言われる翁舞が奉納される奈良豆比古神社などの社寺のほか、明治期に建てられた木造洋風の奈良女子大学記念館やレンガ造の旧奈良監獄があります。京都への主要道である京街道にも趣のある建物が残っていて、広範囲にさまざまな歴史的なスポットが点在しています。
きたまちには、奈良女子大学、奈良県庁といった官公庁があり、その周辺には住宅が広がる落ち着いた雰囲気のエリアですが、平成10年頃から、伝統を活かしつつ新たなまちづくり活動が行われていて、徐々にその落ち着いた雰囲気が注目されるようになりました。現在では、近鉄奈良駅から奈良豆比古神社までの広いエリアに100店舗以上のお店が出店しています。お店が立ち並ぶにぎやかな近鉄奈良駅周辺と比べ、路地裏などに隠れ家のように出店するお店も多く、じっくりまちを探索するのが楽しいエリアです。
奈良女子大学記念館
JRの京終駅を中心としたエリアで、おおむね線路の北側から市内循環バス通りより南のエリアを指します。京(みやこ)の終(はて)という言葉が示すとおり奈良町の南限で、近代までは京終より先は田畑が広がっていました。明治31年に京終駅ができると近代交通の要所となり人と物資が集まるようになります。大正時代には市場ができ、奈良と都祁を結ぶ安全索道という荷物用のリフトが開通し、昭和初期にかけてさまざまな工場ができるなど、産業のエリアとなっていきます。
このエリアには、重要文化財建造物の本殿がある崇道天皇社、女人裸形阿弥陀如来立像で有名なれん珹寺(れんは王偏に連)などの社寺や明治期に建てられた京終駅舎が残るほか、町かどの風景は昭和の雰囲気を残す商店や住宅、歴史的な遺産とともにどこか懐かしい雰囲気を味わえるエリアです。
近年、町家や古民家、歴史的な建物を活かしたゲストハウスができるなど、さまざまな人が集まるようになりました。それにより平成29年頃からまちづくり活動が始まり、新しいお祭りやイベントが行われています。これからのにぎわいが楽しみなエリアです。