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木造地蔵菩薩立像(厨子入)

更新日:2024年3月28日更新 印刷ページ表示

 本像は西大寺奥の院の本尊です。像内納入品と頭部の墨書銘から、永正11年(1514)に海龍王寺地蔵院の仙算(せんさん)と番匠宿院源四郎(ばんしょうしゅくいんげんしろう)によって造立され、天文16年(1546)に宿院仏師源次(げんじ)によって頭部が補作されたことが分かります。
 仙算(1454~?)は彫刻の技量に長けた造仏僧であり、源四郎たちを率いて造仏活動を行いました。源次は、源四郎の工房を引き継ぎ、宿院仏師と名乗って新興の仏師集団の棟梁となりました。作者仙算と番匠宿院源四郎の造立から仏師源次の補作へと展開した本像の歴史は、室町時代の宿院仏師の動向を知るうえで注目されます。
 本像は、法衣の上に袈裟(けさ)を着けており、その着衣形式は鎌倉・南北朝時代の南都の地蔵菩薩像の先例に倣います。両袖や腹前における衣の皺(しわ)は、彫り口が深く繁じょくな傾向を示していて、源四郎や源次の簡略な衣文表現とは異なり、仙算の造形感覚によるものとみられます。
 一方、頭部は、肉取りの抑揚の少ない、丸い顔が特徴的です。目鼻立ちはよく整っており、なかでも、眼尻の吊り上がった見開きの強い眼には、源次の特色がよく表れています。
 像内から仏舎利、毛髪、文書類(以上、永正11年納入)、旧頭部とその表面を削った薄片、錫杖頭(しゃくじょうとう)(以上、天文16年納入)が確認され、全て取り出して保存されています。仏舎利は仙算ら海龍王寺の僧が奉納したものです。文書類には、仏舎利の奉納書のほか、表白(ひょうびゃく)、結縁交名(けちえんきょうみょう)、地蔵印仏、奉加書などがあります。藤寿女の表白と旧頭部には、造立当初の願意や作者名が記されます。他の品も、本像に結縁した人々の地蔵信仰の様相が分かる点で貴重です。
 本像は制作時期及び作者が明らかな室町彫刻の基準作で、頭部の補作時期が判明する点でも重要であり、室町後期の奈良における新興の仏師集団、すなわち宿院仏師の歴史を考える上で注目すべき仏像です。また、当時の地蔵信仰の様相が分かる多数の像内納入品を伴う点でも注目されます。
 厨子は一部改修があるものの、室町時代の春日厨子の形状をよく残しており、本像造立時に設(しつら)えられた可能性が高いと推測されるところから、あわせて保存・活用を図ります。

木造地蔵菩薩立像(厨子入)(画像提供:奈良国立博物館)

 
件名 木造地蔵菩薩立像(厨子入)
 附 像内納入品 一括
     藤寿女表白及び旧頭部等に永正十一年、作者仙算、番匠宿院源四郎等の記がある
かな もくぞうじぞうぼさつりゅうぞう(ずしいり)
数量 1躯
指定(分類) 奈良市指定文化財(彫刻)
指定日 令和6年3月27日
所在地・
所有者
奈良市西大寺野神町一丁目6-10 西大寺
小学校区 伏見
形状等 像高93.9cm
​頭部首枘外側(背面側)墨書「天文十六年/丁未八月十五日/空阿/□師/源次」
​地蔵菩薩旧頭部墨書
(背面材 内側)「仙算世々師長父母六親眷属/出離生死法大菩提/南都海龍王寺於地蔵院/仙算奉彫刻者也大施主/西大寺福岡二郎左衛門方/藤寿女/右伽藍繁栄僧法久住/当住玄海和上法師堅固恵命/長遠乃至法界平等利潤/永正十一年甲戌五月廿四日」
(前面材 右頬)「あまり尼/たむろい/□大□」
(前面材 左頬)鳥(墨絵)
(/は改行、□は判読不能文字を表す)
備考 室町時代