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木造千手観音立像

更新日:2021年1月27日更新 印刷ページ表示

 観音寺の本尊として本堂に安置され、地域の信仰を集めている仏像です。解体修理によって像内の墨書銘が知られ、永禄3年(1560)に空阿弥陀仏および源三郎が造立に関わったことが判明します。
 空阿弥陀仏は宿院仏師(しゅくいんぶっし)源次の法名と推定されています。源三郎は空阿弥陀仏の子であり、宗久とも称しました。源三郎は源次のもとで造像の経験を積み、次第に造像の主体となって、源次の宿院町の工房(仏師屋)を引き継いだと考えられています。
 源三郎が銘記されるのは、天文9年(1540)の大和郡山市松本寺釈迦如来坐像や天文14年(1545)の桜井市東田区薬師如来坐像(奈良県指定有形文化財)が早期の遺例であり、奈良市内では、本像のほかに天文17年(1548)の西光院地蔵菩薩半跏像(奈良市指定文化財)、永禄4~5年(1561~62)の横井町薬師如来坐像(奈良市指定文化財)、永禄6年(1563)の十輪寺阿弥陀如来坐像(奈良県指定有形文化財)などがあります。
 これらは、源次から源三郎へと展開した宿院仏師工房の変遷がよくうかがわれる仏像です。また本像と同年に造られた広陵町大福寺十一面観音立像(奈良県指定有形文化財)は源次の子源四郎、同源五郎らも参加しており、宿院仏師一門総がかりで造られた仏像であったことが知られています。そのような中で、本像は宿院仏師の盛期における仏像の一つであり、明快な顔立ち、均衡のとれた体躯、単調ながら張りのある肉取り、簡潔な衣文(えもん)表現など、源三郎の特長がよく表れており、宿院仏師工房の作風展開を考える上で重要です。中世末期に活躍した宿院仏師の貴重な作例であり、南都仏教彫刻史上価値の高い仏像です。

木造千手観音立像

 
件名 木造千手観音立像
かな もくぞうせんじゅかんのんりゅうぞう
数量 1躯
指定(分類) 奈良市指定文化財(彫刻)
指定日 平成23年3月3日
(昭和45年3月7日 都祁村指定文化財)
所在地・所有者 奈良市針町1384 観音寺
小学校区 都祁
形状等 像高144.7cm
頭部前面材内刳部墨書「シユクヰン/源三郎」
躰部背面材内刳部墨書「空阿弥陀仏/永禄三年〈庚/申〉九月十二日/なら宿院宗久源三郎」
(/は改行、〈 〉は割書を表す)
備考 室町時代