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木造十王坐像

更新日:2021年1月27日更新 印刷ページ表示

 本作品は、亡者の罪業を裁くと説かれる冥界の王の群像です。正覚寺は江戸時代には俗に十王堂と呼ばれ、寺の門前東脇に閻魔王(えんまおう)など十王の像を安置する十王堂一宇があって、付近を十王堂町とも称したことが近世の諸史料(『奈良名所八重桜』、『春日大社文書』「正覚寺澄永答書」、『奈良坊目拙解』、『大和名勝志』等)から窺えます。十王堂は現存しませんが、本作品はその安置像のうちの3躯と考えられます。
 いずれも道服と王冠を着けて安坐し、忿怒の表情を示します。姿形と持物からみて、笏を持つやや大きな像は閻魔王、人頭杖を持つのは太山王(たいざんおう)、筆を持つのは五道転輪王(ごどうてんりんおう)と推考されます。
 各々の像内と台座に銘があり、天文21年(1552)に、僧慶厳の勧進により、宿院仏師(しゅくいんぶっし)の源次と定政が制作したことがわかります。源次は南都の宿院(現在の奈良市宿院町)の地で一門の仏師を率いて多数の仏像を作っており、「宿院仏所」という銘記から工房の存在を確認できます。定政は、天文15年(1546)の奈良市・元興寺地蔵菩薩立像(奈良市指定文化財)の作者定正と同一人物と考えられ、他にその名が確認できるのは、同14年の奈良県桜井市・東田区薬師如来坐像(奈良県指定有形文化財)、同16年の徳島県・願成寺薬師如来坐像(徳島県指定有形文化財)があります。定政は源次の工房を継いだ源三郎の別名とみる説もありますが、いずれにしても源次門下の主要な仏師の一人とみてよく、宿院仏師の活動を知る上で本作品には高い資料的価値が認められます。
 本作品はこのように制作年が明らかで、宿院仏師の源次と定政の作と知られ、奈良の中世彫刻史上重要です。また、市内の十王関係の彫像の中で、東大寺と白毫寺のそれぞれにある鎌倉時代の閻魔王と太山王の坐像(いずれも重要文化財)に次ぐ古作であり、本市における十王信仰の遺品としても貴重なものです。

木造十王坐像
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件名 木造十王坐像
  像内と台座に天文二十一年、宿院仏師源次、定政等の銘がある
かな もくぞうじゅうおうざぞう
数量 3躯
指定(分類) 奈良市指定文化財(彫刻)
指定日 平成29年3月14日
所在地・所有者 奈良市西紀寺町21 正覚寺
小学校区 飛鳥
形状等 (1)像高77.2cm
​玉眼留木(縦木)墨書「空阿」、台座天板裏面墨書「六枚之内/之内/天廿一年十月十六日勧進沙門/慶厳」、台座右側板裏面白書「天文廿一年〈壬/子〉/八月吉日/宿院仏師/源次」、頭部(額)内面墨書「□□□/大仏師/神箸/林蔵/□□/享和三年/亥七月」、体部内背面墨書「春日見正覚寺/現住比丘了海/知空/代/于時享和三〈癸/亥〉/八月彩之/仏師/神箸/林蔵」
(2)像高58.3cm
​頭部(首枘)内面墨書「善□/妙祐/如久/国誉/妙寿」、後頭部内面墨書「天文廿一年十月九日/仏師/源次」、体部内背面墨書「空阿/天文廿一年〈壬/子〉十月十六日/宿院仏所/定政」、頭部(冠頂)内面墨書「大仏師/林蔵/正春/□慶厳/如泉」、台座天板裏面墨書「□之方/享保三年/元林院町竹坊彩色之」
(3)像高60.4cm
玉眼留木(縦木)墨書「空阿」、後頭部内面墨書「天文廿一年十月九日/□□□」、頭部(首枘)内面墨書「妙春/小次郎/妙阿/妙□/妙□」、頭部(冠頂)内面墨画(草 一茎)、台座天板裏面墨書「右之方」
(/は改行、〈 〉は割書、□は判読不能文字を表す)
備考 室町時代