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史料保存館デジタルギャラリー

更新日:2021年3月18日更新 印刷ページ表示

公開に際して

史料保存館の館蔵史料の幾つかをご紹介します。ホームページでご覧になる以外のご利用(書籍への掲載や原本の閲覧など)を希望される場合は、別途申請が必要になります。詳しくは【史料保存館】史資料等利用/掲載/館外貸出許可申請書をご参照ください。

公開史料(史料名をクリックすると史料の閲覧ができます)

絵図・地図ほか

和州南都之図 [JPGファイル/1.3MB](軸装) 山村重三郎 宝永6年(1709) 95.0cm×60.0cm(絵図部分) 
 木版の奈良の案内図です。東を上にして町家を黒く塗り、興福寺・東大寺の諸院、諸坊は符号で図中に示し、上下の一覧と対応しています。東は忍辱山、南東は鹿野園、南西は郡山・矢田寺、西は富雄・霊山寺、北西は秋篠寺、北は奈良坂までを描いています。宝永6年(1709)の東大寺大仏殿落慶供養の見物客を見こして作られたと考えられます。


奈良町絵図 [JPGファイル/1.26MB](軸装) 江戸時代中期 76.0cm×90.0cm(絵図部分)
 手書きの町絵図です。町名や寺社名、川や池、水路、町木戸の位置などが細かく描きこまれています。町の周囲は柵で囲まれ、町場と農村域が分けられています。これは「鹿垣(ししがき)」といい、鹿の害から農作物を守るために作られたものです。 


和州奈良之図 [JPGファイル/1.77MB] 絵図屋庄八 天保15年(1844) 43.0cm×56.0cm
 奈良の絵図屋庄八が作成した版図です。奈良奉行所を中心に東を上に描き、町名、社寺、川、池などが描かれています。また、吉野・高野・京都・大坂・河内など東西南北の里程を付し、奈良八景、南都七大寺、社寺の年中行事・祭礼などについても紹介している名所旧跡案内の絵図です。


ならめいしょえづ [JPGファイル/1.05MB] 絵図屋庄八 江戸時代 28.3cm×43.0cm
 絵図屋庄八が江戸時代から明治期まで版を重ねて出し続けた名所絵図です。主な名所を網羅的に描いた概念図(イメージ図)です。元文3年(1738)に完成した大仏殿回廊とともに享保2年(1717)に焼失した興福寺の南大門が描かれていて一種の復古図にもなっています。奈良の町の中を自由に歩き回っていた鹿も絵図のそこここに描かれています。

月瀬尾山梅渓道の栞 [JPGファイル/1.78MB] 暁晴翁作 松川半山画 江戸時代 35.1cm×48.2cm
 京都、大阪、奈良、上野から月ヶ瀬への道を鳥瞰図で描いた刷り物です。江戸後期には梅の名所として知られるようになり、多くの文人墨客が観梅に訪れました。


奈良観光市街地図 [JPGファイル/1.76MB]  大和史蹟研究会発行 昭和11年(1936) 79.0cm×109.5cm
 奈良市街を南西から描いた地図です。いろいろな施設や商店が描かれており、昭和10年代の奈良の町の様子がわかります。主な建物にはその名称を記し、その他の所は記号があり、地図下部の索引で引けるようになっています。

 

写真

辷(すべ)り坂から三条通 [JPGファイル/923KB] 明治中頃か 21.5cm×27.5cm
 アルビューメン・プリント(鶏卵紙)に着色した写真で、辷り坂と呼ばれる坂道から西方向に三条通を撮影しています。明治中頃に来日した外国人向けに日本の名所や風俗を撮影した同様の着色写真が販売されていることから、この写真もその頃のものと考えられます。当時の三条通の様子がよくわかります。
 

奈良名勝写真帖 [PDFファイル/16.77MB] 奈良市役所 大正4年(1915) 15.3cm×22.3cm
 交通機関の発展により増加した観光客のために、市内の名勝旧跡や行事などを記録した写真集です。奈良市街の全景や社寺や名所など50点が掲載されています。


京終駅付近 [JPGファイル/915KB] 昭和初期 13.0cm×18.0cm 
 現JR京終駅付近で、京終地方西側町の角から南方面を望んだ写真です。現在は集合住宅などが建っています。 


京終駅構内 [JPGファイル/977KB] 昭和初期 13.0cm×18.0cm
 現JR京終駅の構内を東から撮影しています。右端に駅舎が小さく写っています。


京終青果市場 [JPGファイル/917KB] 昭和初期 13.0cm×18.0cm
 大正7年(1918)に現JR京終駅近くに開設されました。昭和52年(1977)に奈良県中央卸売市場が大和郡山市筒井町に開設されるまでにぎわっていました。


索道 京終終点付近 [JPGファイル/974KB] 昭和25年頃 13.0cm×18.0cm
 索道は貨物運送に利用されたリフトで、奈良安全索道株式会社が、大正8年(1919)から昭和27年(1952)まで現JR京終駅近くの肘塚町から都祁小倉町を結んでいました。大和高原の特産物であった凍豆腐の原料や製品、木材、肥料、石炭などの輸送を行いました。

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