ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
現在地 トップページ > 分類でさがす > 市政情報 > 広報活動 > しみんだより > 奈良しみんだより > 奈良しみんだより平成31年4月号(テキスト版)2-5ページ 特集:奈良市を再発見。文化財の宝庫 富雄を歩こう!

本文

奈良しみんだより平成31年4月号(テキスト版)2-5ページ 特集:奈良市を再発見。文化財の宝庫 富雄を歩こう!

更新日:2019年4月1日更新 印刷ページ表示

奈良市を再発見。文化財の宝庫 富雄を歩こう!

今日では新興住宅街というイメージのある富雄地区ですが、実は奈良時代の歴史書「日本書紀」にも記述があるとされる、歴史のある地域です。
平成29年に日本最大の円墳であることが確認された「富雄丸山古墳」や、国宝や重要文化財を多く持つ「霊山寺」等、古くから伝わる社寺が多くあります。
行楽シーズンの4月。
奈良市の魅力を再発見しにウォーキングに出かけてみませんか?

北…桜と自然を楽しむコース(観光含めて半日)

START:富雄駅(40分)~(1)富雄川沿いの桜並木~(2)杵築神社(30分)~(3)王龍寺~GOAL:あすか野南三丁目バス停

南…富雄丸山古墳を巡るコース(観光含めて一日)

START:富雄駅(20分)~(1)添御県坐神社(40分)~(2)霊山寺(15分)~(3)富雄丸山古墳(40分)~(4)登彌神社~GOAL:奈良県総合医療センターバス停

富雄の由来
「日本書紀」によると、神武天皇の軍が、トミオの豪族「長髄彦」の軍に苦戦していた際、「空が曇り氷雨が降り、黄金の鵄が飛んできて天皇の弓の弭にとまった。
その光で長髄彦の軍は目がくらんで戦うことができなくなった」とあります。富雄や鳥見の名称はこの鵄伝説に由来していると言われています。

富雄北部 桜と自然を楽しむコース

(1)「春の訪れ」を楽しめる名所「富雄川沿いの桜」

杵築神社に向かう道の並木は見どころ

(2)起源は6世紀「杵築神社」

(二名平野二丁目2097 電話番号:0742-43-8647 バス停「杵築橋」)

小野妹子に代表される小野氏が敬ってきたと伝わる神社。
秋祭りでは巨大なだんじりを地域住民が一体になって担ぎ、富雄川沿いを練り歩きます。

(3)貴重な石仏と、豊かな自然が残る「王龍寺」

(二名六丁目1492 電話番号…0742-45-0616 バス停「あすか野南三丁目」)

聖武天皇の勅命で建立されたと伝わる、現在は黄檗宗の寺院。
山門から続く参道や本堂の周囲にあるコジイ林は、市内西部に残る貴重な自然林です。
南門前には樹齢約300年と言われるヤマモモの大木があり、コジイ林とともに市の指定文化財(天然記念物)に指定されています。

本尊は磨崖仏(石仏)の十一面観音菩薩像。建武3年(1336年)の年号が刻まれ、南北朝時代に作られたことがわかっており、同時代を代表する磨崖仏として市の指定文化財になっています。
また、その脇には室町時代に刻まれた不動明王像があります。境内には、富雄の地名の由来と伝わる鵄の名を冠する「鵄神社」もあります。

cafe 江戸時代を感じるカフェ「みやけ 旧鴻池邸表屋」

(鳥見町一丁目5-1 電話番号:0742-51-3008 近鉄富雄駅から徒歩8分 日曜日定休)

旧鴻池邸表屋(鴻池善右衛門家の今橋本邸)は大阪市中央区今橋にあった江戸時代の建物を移築したもので、当時の豪商の住まいの様子を今に伝えています。現在は、和菓子屋・カフェとして人気を博しています。

富雄南部 富雄丸山古墳を巡るコース

(1)600年以上守られてきた貴重な本殿「添御県坐神社」

(三碓三丁目5-8 電話番号:0742-43-1428 バス停「三碓」)

平安時代の「延喜式神名帳」にその名が見える神社。
本殿は室町時代前期の永徳3年(1383年)に建立されたことがわかっています。
覆い屋根があるため保存状態は良好で、国の重要文化財に指定されています。
5つの部屋が左右1列に並ぶ「五間社流造」という形式で、細く繊細な柱が室町時代の特徴を伝えています。

祭神の一柱である武乳速之命は、富雄川の中流域一帯を治めていた長髄彦のこととされる伝説もあり、富雄の伝説を色濃く残した神社です。

「三碓」地名の起源が残る「根聖院」

(三碓三丁目5-13 電話番号:0742-45-0649 バス停「三碓」)

添御県坐神社に隣接する寺。
1300年前、地域を治めていた小野福麿が、この場所で3つの窪みのある「碓」を用いて穀物を搗かせていたところ、聖武天皇がこれを見てこの地を「三碓」と名付けたと言われています。

(2)厳かな国宝とバラ園を持つ「霊山寺」

(中町3879 電話番号:0742-45-0081 バス停「霊山寺」)

拝観時間

本堂:午前10時〜午後4時、バラ園:午前8時〜午後5時

奈良時代に聖武天皇の勅命により行基が開いたとされる寺院。建立中、東大寺大仏開眼供養の導師を務めたインド出身の僧である菩提僊那が訪れ、この地が釈迦の聖地であるインドの霊鷲山に似ていることから「霊山寺」と命名したと伝えられています。

同寺は国宝の本堂、重要文化財の三重塔・鐘楼や、多数の仏像等多くの宝物を有しており、歴史の深さがうかがわれます。
また、本堂の北東には先々代の住職が平和を祈願し造園したバラ園があり、200種2000株ものバラが植えられています。

(3)日本最大の円墳「富雄丸山古墳」

(丸山一丁目 バス停「若草台中央」)

平成29年の航空レーザ測量によって、日本最大の円墳である可能性が示され、話題を呼んだ富雄丸山古墳。
続く第2次調査の結果では、墳丘の裾部分を発掘し、その調査をもとに直径を復元すると、約109メートルとなることが判明しました。
それまで国内で最大の円墳とされていた丸墓山古墳(埼玉県)の直径105メートルを上回る「日本最大の円墳」であることが裏付けられ、全国的なニュースとなりました。

また、墳丘裾の他、祭祀空間として機能していたと考えられる「造り出し」部分や、墳頂部、段状になっている墳丘の平坦面・斜面と推定される部分でも調査が行われ、古墳は3段築成であることが判明。
大王墓級の規模を持つ平坦面の中央には円筒埴輪列を確認できる等、構造の解明が進みました。
また、墳頂部からは鍬形石や管玉などの副葬品が出土し、被葬者の権力の高さがうかがえるものとなりました。
※重要文化財は京都国立博物館に所蔵されています

(4)本殿の極彩色を復原。農耕文化の伝統が残る「登彌神社」

(石木町648-1 バス停「奈良県総合医療センター」)

10世紀に醍醐天皇の命で編纂された「延喜式神名帳」にもその名が記される神社。
文政3年(1820年)の火災焼失後、文政7年(1824年)に再建されましたが、柱や板壁などは極力往時のものを残しています。
平成27年に桧皮屋根葺替などの改修工事が行われ、極彩色も復原されました。

2月1日に行われる「粥占い」は、市の無形民俗文化財に指定される行事。
元禄時代から伝わる大釜で粥を炊き、そこに入れた竹筒の中に入った米と小豆の量を見て、その年の五穀や野菜など、37種類の作物の豊凶を占います。
古風な形態を残す農耕儀礼として、地域の住民によって現在に継承されています。

本特集の問合せ
富雄丸山古墳について…埋蔵文化財調査センター(電話番号:0742-33-1821)
その他…広報戦略課(電話番号:0742-34-4710)