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奈良しみんだより令和2年2月号(テキスト版)2-4ページ 特集:もっと知りたい!奈良市の古墳

更新日:2020年2月12日更新 印刷ページ表示

 

 もっと知りたい! 奈良市の古墳

2017年に日本最大の円墳であることが判明した「富雄丸山古墳」。
日本中の注目を集めた富雄丸山古墳ですが、市内には700基以上の古墳があり、規模や歴史的価値が日本有数のものもあります。
今回はそんな日本に誇る奈良市の古墳を紹介します。

 

1 富雄丸山古墳

市民と発掘する日本最大の円墳
富雄丸山古墳は2017年に実施した上空からのレーザー測量調査で日本一大きな円墳であることが判明しました。この古墳は、4世紀後半(古墳時代前期後半)に築造されたと推定されます。当時では新しい形の「円墳」として築造されており、国内最大の大きさを誇ることからも、被葬者はヤマト王権の大王をサポートしていた勢力の可能性があるとされています。

●市民協働で発掘調査し、市民が銅鏡を発見
2018年から草刈り等の周辺環境整備で地元住民のみなさんの協力を得ながら古墳の調査を行っています。
また、市民参加の発掘調査も実施しており、昨年11月には墳頂部から中国製の斜縁神獣鏡(しゃえんしんじゅうきょう)の破片が市民により発掘されました。これは3世紀頃に中国北東部から朝鮮半島北部で作られたものと推測されています。国内では近畿地方を中心にこれまで45面ほど見つかっていますが、富雄丸山古墳からの出土は初めてです。
今後も市民参加型の調査で掘り進めていくので、興味のある人はぜひ参加してみてください。
 
●インタビュー 銅鏡を発見した住野陽一さん
古代のロマンに興奮
私が富雄丸山古墳で銅鏡を発見したのは、初めての発掘体験でのことです。
発掘は墳頂部で発掘エリアを選び、土を掘り、ふるいにかけて行います。開始から30分で特徴的破片を発見。慎重に土をはらうと丸い文様が見えました。それが銅鏡と判明した時は、興奮がおさまりませんでした。
私は奈良に長く住んでおり、以前から古墳巡りをしたいと考えていました。考古学が趣味で、仕事を引退した後は市内や県内の古墳をたくさん回りました。これからも奈良の発掘体験や、全国の古墳巡りで考古学に触れていきたいです。

 

2 佐紀古墳群

大小50基以上の多様な古墳が密集 自然が多く残り、ウォーキングにも最適
ウォーキングをするなら東群は平城宮跡の遺構展示館駐車場を 西群は平城駅を出発点にするのがオススメ
※(1)〜(8)が全長200メートルを超える大型古墳

●街の喧騒から離れ、美しい周濠が見られる西群
(1)五社神(ごさし)古墳
(2)佐紀石塚山(さきいしづかやま)古墳
オセ山古墳
マエ塚古墳跡
塩塚古墳
瓢箪山古墳(墳頂に登れる)
佐紀高塚(さきたかつか)古墳
猫塚(ねこづか)古墳
(3)佐紀陵山(さきみささぎやま)古墳

●水辺が多く、野鳥観察等も楽しめる東群
(4)市庭(いちにわ)古墳
(5)ヒシャゲ古墳
(6)コナベ古墳
(7)ウワナベ古墳

●(8)広義では南群とされる宝来山古墳(垂仁天皇陵)
尼ヶ辻駅の西側に位置する全長227メートルの大型の前方後円墳で、築造は4世紀後半と推定される。近鉄橿原線の車窓からも眺めることができ、そのスケールを味わえる。

・平城宮跡の北方に位置し、西群と東群に分類される。西群は古墳時代前期後半~中期前半、東群は中期前半〜後半に造られたもので、時代とともに西から東へ築造が進められた。全長200mを超える大型の前方後円墳が、少し南に離れた宝来山古墳を含めて8基存在し、その密集度は日本随一を誇る。

・佐紀古墳群は大和(おおやまと)古墳群、馬見(うまみ)古墳群と合わせて大和三大古墳群と呼ばれます。築造時期を見ると、時の勢力が大和盆地を南から北へ移動する様子がわかります。従来佐紀は未開の原野でしたが、水運の利便性が良かったため、王権が佐紀の地に移り、有力者らの墓が築造されたと考えられます。
中でも宝来山(ほうらいさん)古墳や五社神(ごさし)古墳には大王が埋葬されている可能性があります。

・日本書紀にも登場
日本最古の正史「日本書紀」には最初に築造されたとされる佐紀陵山(さきみささぎやま)古墳が登場し、築造の際、殉死にかわる埴輪を考案して初めて立て並べたと記載されており、佐紀の地が歴史の舞台になったことがわかります。

・全国からファンが集まる
これだけの大型古墳が狭い範囲に密集して見られるのは珍しく、また古墳周辺は歴史的風土特別保存地区に指定されているため、自然環境もよく保全されているので、多くの人がこの風景を楽しみに訪れます。

 

コラム 古墳が好きすぎて「古墳型ケーキ」を開発。SNSで大人気に

奈良町にある「菓子工房プティ・マルシェ」が提供する「古墳型ケーキ」は、全国から多くの人が食べに訪れる人気のメニューです。店長の中島さんは古墳の魅力を広める団体「古墳にコーフン協会」奈良支部長も務めるほどの古墳好き。9年前に、古墳への愛情をケーキで表現できないかと古墳型ケーキを開発し、SNSへの投稿をきっかけに話題を呼び大人気となりました。
ケーキの底部には円筒埴輪型メレンゲが並び、中には勾玉に見立てたナッツ等が入っていて、スコップ型のスプーンで堀ることで古墳発掘の楽しみを疑似体験できるのも人気の理由です。
店長の中島智加さん
東寺林町22  営業日:水〜日曜日 午後0時~午後6時 
※古墳型ケーキはホームページから予約が必要

 

3 隠れた名古墳

実はこんなところにも!身近なところにある古墳を紹介
 
・鶯塚(うぐいすづか)古墳(雑司町)…若草山山頂にも古墳が
枕草子に登場する鶯陵と推測されている前方後円墳。コナベ古墳と築造が同時期であるため、被葬者は佐紀古墳群の被葬者と関連があったと伺える。若草山にドライブに行った時に見てみては。
頂上には「鶯陵(うぐいすのみささぎ)」と刻まれた石碑がたたずんでいる

・ベンショ塚古墳(山町)…日本最古級の馬具が出土
馬に乗る文化が朝鮮半島から伝わった頃の貴重な馬具が出土。最新技術でつくられた甲冑もあり、有力な武人が埋葬されたようだ。

・杉山(すぎやま)古墳(大安寺4丁目)…大安寺の補修に活用
大安寺旧境内の中に残る全長157mの前方後円墳。前方部には寺の瓦を焼いた窯跡が6基あり、そのうちの1つを復元展示している。

・野神(のがみ)古墳(南京終町2丁目)…石棺が見られる古墳
旧国道24号線沿いの桂木団地入口にある。墳丘はほとんど残っていないが、熊本県産の石でつくられた石棺を見ることができる。
 
・三陵墓(さんりょうぼ)古墳群(都祁南之庄町)…「都祁王国」の名残
古墳時代に存在した都祁王国の有力者「闘鶏(つげ)氏」が眠るとされる墓群。大和高原一帯と宇陀エリアを含めても最大規模となる。
 
・坂上山(さかがみやま)古墳(油阪町)…市街地に残る御陵
奈良町の近くに残る貴重な前方後円墳で、三条通り沿いにある。第9代開化天皇陵と伝えられ、宮内庁が管理している。

・石のカラト古墳(神功1丁目緑地公園内)…平城ニュータウンにも
京都府との境界にまたがる緑地公園にあり、上円下方墳という珍しい形をしている。8世紀頃につくられた最後の古墳となる。

 

市内の古墳の出土品が集まる!「埋蔵文化財調査センター」

大安寺西2丁目281 電話番号:0742-33-1821

今回の特集で紹介した古墳の出土品の一部は、埋蔵文化財調査センターで展示しています。来館した人には、希望があれば展示室を案内することもできます(団体の場合は予約要)。
現地で古墳のスケールを味わい、その後同センターで出土品の見学をすると、理解がさらに深まるのでおすすめです♪

ぜひ一度お越し下さい!同センター職員永野
(1)同センター展示室
(2)杉山古墳から出土した家形埴輪
(3)ベンショ塚古墳から出土した甲冑
※(2)(3)は奈良市指定文化財に登録されている

本特集に関する問合せ…埋蔵文化財調査センター(電話番号:0742-33-1821)