本文
7月20日に行われた奈良市長選挙で仲川げん市長が当選し、翌日7月21日に当選証書を受領、23日に初登庁しました。7月31日から仲川市政の五期目が始まりました。
このたび、多くの皆さまのご支援を賜り、引き続き奈良市の発展に尽力する機会をいただきました。改めて心より御礼申し上げます。これまでの四期16年間、市政の諸課題と向き合い、誠心誠意努めてまいりました。例えば、来庁不要の手続き簡略化や庁舎耐震化の完了、新たな子どもセンターや新斎苑の整備、ふるさと納税の単年度黒字達成等、多くの成果を皆さまと共に積み重ねてきました。次の4年間も「革新と継続」を旗印に、これまでの施策を深化させつつ、社会の変化へ柔軟に対応し、市民の皆さまが安心して暮らせるまちづくりにまい進してまいります。
中でも、最重要課題は新たなクリーンセンター(ごみ焼却施設)建設の早期決着です。市の環境保全と安全な市民生活の維持のために、もはや先延ばしはできません。市民の皆さまの声に耳を傾け、透明性を持って迅速に解決へ導き、次世代へ誇れる持続可能な環境都市を実現してまいります。
新たな任期も責任を重く受け止め、一歩一歩確かな歩みを続けてまいります。市民の皆さまの引き続きのお力添えをお願い申し上げます。
仲川げん
巨大な蛇行剣や盾形銅鏡、木棺等、多くの発見が相次いだ富雄丸山古墳。第七次調査で出土した副葬品「3枚の銅鏡」の詳細がついに明らかになりました。棺に埋葬された人物は誰なのか。その謎にも迫ります。
【問合せ】埋蔵文化財調査センター(電話番号:0742ー33ー1821)
令和5年度の第七次調査※では、極めて保存状態のよい木棺が出土し、副葬品として中国からもたらされた3枚の銅鏡や竪櫛が確認されました。木棺は内部が3区画に分かれ、縄掛突起の構造も詳細に判明。副葬品は当時の配置を保ち、古墳時代の葬送儀礼や棺の構造を解明する上で重要な成果となりました。
※くわしくはしみんだより令和6年4月号へ
今回は副葬品の1つ「3枚の銅鏡(重なっていた順に上から1・2・3号鏡)」に堆積していた粘土を除去し、下面に描かれていた文様を分析すると、製作年代や埋葬に至った時代背景が判明しました。
平成29年度 第一次調査…直径109メートルの国内最大の円墳と判明
令和元年度 第三次調査…墳頂部で中国製の青銅鏡の破片を、発掘体験に参加する市民が発見
令和4年度 第六次調査…国内最古で最大の蛇行剣と盾形銅鏡が出土
令和5年度 第七次調査…粘土槨の構築方法が判明。木棺が発掘され、一部は水銀朱で真っ赤に。木棺内から竪櫛9個・鏡3面を発見
富雄丸山古墳の軌跡は動画でも配信…https://www.city.nara.lg.jp/site/press-release/165641.html
1号鏡…三角縁神獣鏡(陳氏作六神三獣鏡)
直径21.6センチメートル・重さ961グラム
・鈕…突起状のつまみ。ここに鈕孔(穴)を開け、紐等を通して使用されていた可能性がある。穴の形は長方形
・2体の神像。それぞれの両隣に脇侍
・3体の獣像
・4つの「乳」と呼ばれる突起
・「陳氏作竟甚大好上有□□□□□□□文章口銜巨古有聖人東王父西王母渇飲玉泉」の銘文が刻まれる
※□は判読不能
2号鏡…虺龍文鏡
国内で知られる虺龍文鏡40面のうち最大の大きさとなる※通常は10センチメートル程度
直径19.1センチメートル・重さ844グラム
・鈕孔は半円形で、鈕の周りを取り囲むように四葉文が描かれる
・鋸歯文…のこぎりの歯のように、連続する三角形の文様。虺龍文鏡には珍しい
・虺龍文…逆S字形のモチーフが特徴の文様。龍の前半身、虎の前半身が飛び出す文様が対になっている
・4つの「乳」
3号鏡…画像鏡
鈕孔は半円形で、鈕の周りを取り囲むように連珠文が描かれる
直径19.6センチメートル・重さ673グラム
・2体の神像(東王父・西王母…中国の神話上の仙人)と、それぞれの隣に脇侍
・連続三葉文…画像鏡によく見られる文様
・「吾□□竟真大工上有東王父西王母長宜(外字のため、実際の漢字とは異なります)孫子」の銘文が刻まれる※□は判読不能
・4つの「乳」
3枚の銅鏡は、製作年代が大きく異なります。2号鏡は、製作から副葬までの期間が最大400年にも及びます。副葬の際、さまざまな時代の銅鏡を選んだのはなぜなのか。今後注目が集まります。
古墳時代前期、倭王権は有力者の実力や関係に応じて大小の銅鏡を配ったと考えられています。今回の銅鏡はいずれも直径約20センチメートルの大型鏡。第六次調査で発掘された盾形銅鏡も64センチメートル×31センチメートルの大型鏡。これを踏まえると、富雄丸山古墳を造った集団が倭王権から特に重視された有力者だったと考えられます。
大型の虺龍文鏡は、前漢の範囲を大きく超えて、ウズベキスタン等でも出土。今回の発見は、古代ユーラシアにおける広域交流によって、日本列島にも多くの人やモノがもたらされたことを示す貴重な証拠です。令和9年に奈良国立博物館での開催を予定している「奈良・サマルカンド特別交流展」では、シルクロードの開拓を物語る資料として、ウズベキスタン出土の虺龍文鏡と共に2号鏡を展示します。
富雄丸山古墳出土の文化財等を展示する施設の建設費用や特別交流展の実施について、ふるさと納税の寄附を受け付けています。ぜひ、協力をお願いします。
(仮称)奈良市文化財センター建設について…https://www.city.nara.lg.jp/site/press-release/245031.html
奈良・サマルカンド特別交流展について…https://www.city.nara.lg.jp/site/kankou/222348.html
インタビュー…奈良市埋蔵文化財調査センター 柴原 聡一郎
鼉龍文盾形銅鏡や巨大蛇行剣という類例のない遺物に続き、保存状態のよい木棺や銅鏡が出土した時は、私たちも驚きました。銅鏡は錆が少なく当時の輝きを保つかのよう。掘り上げた瞬間、鏡面に自身の顔が映ったことを鮮明に覚えています。3枚の鏡のいずれかは、4世紀の古墳に副葬されることの多い日本製のものだろうと予想していましたが、その想定を覆す大発見となりました。まさに「謎が謎を呼ぶ展開」に。
残念ながら、埋葬された人物の名を示す遺物はなく、古墳の主を明らかにするには考古学的な検討が必要です。特異な鏡の組み合わせや副葬品からすると、倭王権に高く評価された有力集団のリーダーの近親者だったのでしょうか。今後の研究が期待されます。