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奈良しみんだより令和5年3月号(テキスト版)2-5ページ 特集:

更新日:2023年2月28日更新 印刷ページ表示

国内最大の円墳・富雄丸山古墳で、世紀の大発見!
日本初・最大の遺物が出土

「日本最大の円墳」として注目を集めた富雄丸山古墳で、昨年12月にさらなる新発見がありました。国内最古で最大の蛇行剣、そして初めて出土した鼉龍(だりゅう)文様を刻む盾形の銅鏡。今年度の調査で新たに判明した調査成果をお知らせします。

富雄丸山古墳から出土した2つの遺物

古墳時代前期後半(4世紀後葉)に築造された富雄丸山古墳。北東部に「造出し」という四角い張り出しが取り付いた、直径109メートルの円墳です。今年度の調査では、この部分の発掘を行い、埋葬施設「粘土槨」を確認しました。木棺のふたを粘土で覆った構造で、その大きさは長さ約6.4メートル、幅約1.2メートル。この粘土の中から盾の形をした大きな銅鏡1面と、その上に置かれた「蛇行剣」と呼ばれる、刃部が蛇のように曲がりくねった巨大な鉄剣1本が見つかりました。銅鏡と剣は、木棺を守るように納められていました。

これまでに類を見ない長大かつ最古の「蛇行剣」

今回出土した蛇行剣の特徴は、その長さと歴史の深さにあります。これまでの蛇行剣の最大例は、北原古墳(宇陀市)の全長84.6センチメートル。鉄剣の最大例は中小田第2号墳(広島市)の全長115センチメートル。今回の蛇行剣は、どちらをもはるかにしのぐ長さとなり、「国内最大の鉄剣」となりました。
また、蛇行剣は日本で85例、韓国南部で4例見つかっており、これら全てが4世紀末(古墳時代中期)以降の古墳から出土。今回はそれよりも古い古墳から発見されたため、「最古の出土例」となりました。
 
蛇行剣復元図
残存する有機質(柄頭(つかがしら)〜鞘尻(さやじり))により推定される全長:267センチメートル
発掘された鉄剣の全長:237センチメートル
茎(なかご):約21センチメートル
鞘(さや)の幅:約9センチメートル
刃部の幅:約6センチメートル
 

富雄丸山古墳のこれまでの調査成果

最初の発掘調査は、1972年に県教育委員会が、宅地造成に伴い緊急的に実施しました。この時の調査で、墳頂部に粘土槨がある大型円墳であることが判明しました。
その後、市西部の新たな魅力発信の可能性を秘めた文化遺産として、2017年に航空レーザ測量(第1次調査)を実施。翌年から始まった市教育委員会での5年間の発掘調査によって、日本最大の円墳であることが分かりました。
 

発掘調査(2018年以降の第2〜5次調査)の主な成果

  • 墳頂部の副葬品として、中国製の斜縁神獣鏡の破片を発掘体験に参加していた市民が発見。富雄丸山古墳からは初出土。
  • 古墳築造以前にあった弥生時代後期の遺跡(竪穴建物)と同時代後期の土器を発見。
  • 1・2段目と造出しの円筒埴輪列を検出し、合計約40本を取り上げ。2段目に鰭付円筒埴輪、1段目に普通円筒埴輪が主に並べられていることが判明。この配列の事例は他に確認されていない。
 

県立橿原考古学研究所による蛇行剣のレントゲン写真

複数の蛇行剣が合わさったものかと推定されましたが、エックス線での解析により、1本の鉄剣であることが証明されました。
富雄丸山古墳の出土品の調査研究は、県立橿原考古学研究所と市教育委員会が協定を締結し、共同で行っています。遺物の取り上げとその直後の応急保存処置、関連する保存科学的・考古学的調査研究を現在進めています。右のエックス線解析も同研究所での調査によるものです。
 

「鼉龍文盾形銅鏡(だりゅうもん たてがたどうきょう)」を徹底解剖。

出土した蛇行剣の下、棺のふたを覆う粘土に斜めに立てかけられていた盾形銅鏡。表面の研磨状況から「鏡」と考えられます。市教育委員会と橿原考古学研究所は、その材質・形状や特殊な文様から「龍文盾形銅鏡」と命名しました。その文様の図像表現から、国内でも類例がない貴重な遺物であることが判明しました。
 

命名の基本的な考え

今回、「種類・材質・形状・文様」の4点を過不足なく端的に示し、既存の考古学的用語から外れないことを念頭に置いて、命名しました。
(1)種類
デジタルマイクロスコープの観察により、極めて細かいレベルでの研磨が表面に見られる。既存の銅鏡の鏡面仕上げと似通っていることから、「鏡」と推定。
(2)材質
表面の地金露出部分をエックス線装置により分析。計測結果(銅8.34パーセント、すず79.76パーセント、鉛7.11パーセント)から、「青銅」と類推。
(3)形状
古墳時代中期の御獅子塚古墳(大阪府豊中市)から出土した革盾と比較。外形が酷似しており、鋸歯文が周囲を取り囲む等の特有の文様があることが、古墳時代の革盾と共通する。
(4)文様
背面の上下に見られる線・半肉彫りの図像文様は、古墳時代の倭鏡である「龍鏡」の文様と類似(ただし、完全一致でないオリジナルの文様)。
 

鼉龍文盾形銅鏡の説明

最大幅:31センチメートル
最大の厚さ:0.5センチメートル、重さ:5.7キログラム
長さ:64センチメートル
鈕(ちゅう)
突起状のつまみ。出土時に見つかった繊維の跡から、ひもではなく、織物のようなものが通されていた可能性がある。
鋸歯文(きょしもん)
のこぎりの歯のように、連続する三角形の文様。主に盾の外周、鈕の周り等に配置され、太陽のようなあしらいも見られる。
鼉龍(だりゅう)
中国では想像上の動物を意味するが、倭鏡に認められる龍文は、神像と獣像が融合した日本独特の表現文様である。
4つの「乳」と呼ばれる突起を、それぞれ龍の胴体が取り囲む。頭部分はその上にある神像の胴体と共有された形。上下で旋回する方向が逆であり、一つ一つ手彫りされ、微妙に形が異なる。
銅鏡の透過エックス線写真
上部の文様の拡大図(橿原考古学研究所提供)
上半身だけになった小獣や、とても首の長い鳥のような図像が見られ、鋸歯文、列点文(点線)、渦状の文様等を複雑に組み合わせ、にぎやかな表現があしらわれている。
 

出土品の評価「古墳時代の工芸の最高傑作」

市埋蔵文化財調査センター発掘調査担当の村瀬さん(外字が含まれているため実際の漢字とは異なります)。
今回の調査の総括と発見時の感想を聞きました。
今回の調査で出土した二つの器物は、当時(古墳時代前期・4世紀)の柔軟な発想力や創造性が、我々の想像以上にいかんなく発揮されているように思います。
銅鏡について申しますと、鏡は本来丸いものですが、盾形が見事にデザインされています。また、主文様の鋸歯文や、龍文の複雑な図像をみると、芸術的な価値や感性がうかがえます。鋳造技術の点でも、大型で繊細な文様をしっかり出すという高度な技術が駆使されており、まさに当時の金属器製作技術の最高傑作。富雄丸山古墳の位置付けやその被葬者像を考える上で、極めて重要な考古資料といえます。私も取り上げの際には立ち会いましたが、出土した盾形銅鏡をひっくり返し、龍鏡の文様が入っているのが見えた時は、言葉にならない衝撃が体を突き抜けました。
今後は、さらに踏み込んだ評価について議論を深めていく必要があります。まずは適切な保存を最優先に、各方面の助言をいただきながら、橿原考古学研究所と協力して分析を進めていきます。
 

その他の発掘調査結果(第6次調査)

特殊な埴輪を伴う祭祀空間を発見

墳丘の南東には、2段目斜面の葺石が残っており、その裾を確認しました。そこでは裾より高い位置に取り付く「高まり」を発見し、2段目斜面との接続部では「湧水施設形埴輪」が見つかりました。また、高まりの上面には小さな礫敷があり、ミニチュアの高杯が4点以上出土したことから、儀式の空間であったと考えられます。
 
写真:発見された湧水施設形埴輪。囲形埴輪の中に家形埴輪を入れ子状に組み合わせたもので、井戸を表現したとされる。全国で約10例見つかっており、富雄丸山古墳はその中でも最古の事例となる。

古墳全体を巡っていたであろう埴輪列

墳丘の南西側では、これまで埴輪列が確認できませんでしたが、3段目斜面の裾と2段目平坦面を調査し、裾から約4メートル外側で鰭付円筒埴輪列(8本分)が見つかりました。これにより、本来は1段目と同じく古墳全体に埴輪列が巡っていたと見られ、2段目には約400本もの埴輪が設置されていたと想定されます。

富雄丸山2・3号墳が前方後円墳の可能性

富雄丸山古墳の北東の隣接地には、6世紀後半の横穴式石室がある円墳「2号墳」と、その南東側に埋葬施設の有無が分かっていない「3号墳」が位置しています。
これまで別々の古墳と考えられていましたが、市の発掘調査の結果、両古墳の間に区画する溝がないこと、3号墳には盛土があるものの埋葬施設がないことが判明し、全長40メートル程度の1つの前方後円墳である可能性が高くなりました。
 

もっと知りたい!奈良市の古墳

動画で楽しむ古墳めぐり

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本特集に関する問合せ

埋蔵文化財調査センター(電話番号:︎0742ー33ー1821)