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奈良市初!市全域での「いっせい避難訓練」
台風等の自然災害や発生予想が困難な地震に備え、今年度は「防災の日」である9月1日に、市民のみなさんの避難や自主防災防犯組織等による避難所開設訓練を市内各所で実施し、市役所本庁では災害対策本部会議等の訓練を実施しました。
地震発生を知らせる同報系防災行政無線、緊急速報メール、防災情報メールが鳴り響き、市民のみなさんに一斉避難を呼びかけました。避難所となっている施設では、市の避難所配置職員、地区自主防災防犯組織による避難所開設が進み、順次受付訓練を実施。市内約2300人の市民のみなさんが、実際の「避難」を体験しました。
済美小学校では、災害時の行動を学ぶビデオ研修会に加え、女性防災クラブによる炊き出しも行われ、本番さながらの雰囲気の中、実施されました。
仲川市長を本部長とする「災害対策本部」。各方面からの報告を受けるとともに、被害状況に応じた対応策の協議や指示を行いました。今回は、南海トラフ地震よりも本市の被害が大きくなるとされている「奈良盆地東縁断層帯地震(震度7)」の大規模地震を想定しており、市職員の他、県警、陸上自衛隊、航空自衛隊幹部候補生学校からも担当者が災害対策本部のメンバーとして参加。マスコミを通じて市長から市民のみなさんへのメッセージを伝える「記者発表」も実施しました。
本市では、毎年秋頃に防災訓練を行っています。昨年度には、「避難所開設・誘導等訓練」を登美ヶ丘中学校で自主防災防犯組織とともに行いました。この他、近年に行った大規模訓練について紹介します。
防衛大学校卒業後、約34年間、陸上自衛官として勤務。元中部方面混成団長・大津駐屯地司令。東日本大震災、中越沖地震、西日本豪雨等、多くの災害で現場の指揮をとってきた経験をもつ。今年4月に奈良市危機管理監に着任。地域防災計画や業務継続計画といった、緊急時の行動指針の作成・見直しを中心に、日々奈良市の安全安心の向上に努めている。
災害の厳しさを改めて実感した平成23年の東日本大震災。当時私は、宮城県多賀城市にある1,500人の隊員を擁する駐屯地の司令として勤務していました。突然の大地を揺るがすような地震。発生1時間後には津波が駐屯地の3分の1を飲み込み、1人の隊員が殉職、12人の隊員が家族を亡くしました。隊員の多くが被災している中での救助活動でした。公助(消防・警察・市役所等の災害支援)も大きな被害を受けるということを改めて目の当たりにしました。
現場はまさに地獄のようでした。結果として4,775人の命を救えたものの、450体のご遺体を収容することとなり、救えなかった命があったことへの後悔を強く感じました。私はできる限り多くのご遺体と対面し、隊員たちとその場面を共有し、共に目に焼き付けることで「この体験を絶対に風化させてはいけない」「将来に伝えていくことが私の使命だ」と思うようになりました。その後、全国各地で500回を超える防災講話等を行い、各地域のみなさんとの交流を図ってきました。
私の尊敬する自衛隊時代の先輩が退任後、仙台市役所で今の私と同じような職に就いていたのですが、震災当時、自衛隊で指揮をとっていた私と、仙台市役所との連携を円滑に進められるように、いろいろと取りはからってくれました。災害時は、各機関の迅速な連携が鍵になるため、当時本当に助かったことを覚えています。私も退任後は「各方面のつなぎ役として活躍したい」「当時たくさんお世話になった基礎自治体に対して恩返しをしたい」と、現在の職につくことを決意しました。立場は大きく変わりましたが、自衛隊生活で学んできた精神は今でも通じる部分も多く、日々やりがいを感じています。
防災・減災には「組み合せ」が大切だと言われています。自助(一人一人の備え)・共助(地域での支え合い)・公助の組み合せもそうですが、私はハード(備蓄倉庫の設置等)・ソフト(防災訓練等)に加えて、幅広い関係機関との協働・連携といった「ハート」を足した組み合せが重要であり、これらが力を合わせなければ災害には立ち向かえないと考えています。災害対策において、やりすぎという概念はありません。私自身、決して後悔をしないためにも「自助・共助・公助」「ハード・ソフト・ハート」の取り組みを今後も進めていきたいと思います。
東日本大震災の現場で指揮をとる当時の國友危機管理監。震災直後から不眠不休で救助活動にあたっていた。自衛隊生活で学んだ「どんな厳しい状況も必ず終わりを迎える。そのため、今の一瞬に全力で立ち向かう」といった精神を柱に、今後の業務にも取り組んでいきたいと語る
これまでは、土砂災害、洪水・浸水害ともに、小学校区を単位として避難勧告等(避難準備・高齢者等避難開始、避難勧告および避難指示)を発令していました。
しかし、避難することによって起きる危険を防止するため、今年度からは発令対象区域を、実質的な危険区域と想定される「土砂災害警戒区域」と「浸水想定区域」に絞り、町(丁目)の単位で発令することとしています。(小学校区のほぼ全域が警戒区域等にあたる場合は小学校区で発令します。)
本特集に関する問合せ 危機管理課(電話番号:0742-34-4930)
「古都祝奈良」は1300年前の歴史や文化が今に息づく奈良を舞台に、美術や演劇等の現代の表現を通じて、人びとが共に体験し、つくり上げるアートプロジェクトです。2017年から事業を開始し、今年で3回目を迎えます。
メインプログラム北澤潤 “You are Me”
観光地としての奈良、日常生活としての奈良等さまざまな面を持つわたしたちのまち・奈良に異国の日常風景が出現します。
来年1月10日(金曜日)~2月1日(土曜日)の開催に向けて、現在、美術家の北澤潤さんによる制作が進められています。(上記写真は"You are Me"イメージスケッチ)
奈良市は2016年、「東アジア文化都市」として「古都奈良から多様性のアジアへ」をテーマにさまざまな文化事業を行いました。「東アジア文化都市」とは「東アジア域内の相互理解や連帯感を高め、その多様な文化の国際発信力を強化する」という目的のもと、日中韓3か国で毎年、文化芸術による発展をめざす都市を選び、文化プログラムを展開するものです。
その中で奈良市が展開した「古都祝奈良」と題したアートプロジェクトでは、世界に誇る文化遺産を舞台に、奈良が圧倒的な「場の力」を持つまちであることを国内外に発信できました。
その後継事業として地域の社会課題を掘り下げ、文化の多様性を創造力へとつなげることをめざし、17年度に奈良市アートプロジェクト「古都祝奈良」を始動。毎年、国際的に活躍するアーティストを招き、奈良市を舞台にアートを展開しています。
16年度:「東アジア文化都市2016奈良市」として、北京オリンピック開会式・閉会式の演出を手がけた蔡國強さんら国際的アーティストを複数人招き、市内の世界遺産の寺社等でアートプログラムを展開。
※今年度の全てのプログラムの詳細は10月下旬に発表予定です。
公式サイト(https://kotohogunara.jp/<外部リンク>左記QRコードを読み取り)、または同実行委員会事務局へ
3回目となる古都祝奈良のメインプログラムを展開する招へいアーティストの北澤潤さんに、奈良とプログラムへの想いを聞きました。
美術家。1988年東京生まれ。東京藝術大学大学院美術研究科博士後期課程修了。合同会社北澤潤八雲事務所代表、STUDIO BELIMBINGディレクター。国際交流基金アジアセンター・フェロー(2016~17年)。さまざまな国や地域でのフィールドワークを通して「ありえるはずの社会」の姿を構想し、多様な人びととの立場を越えた協働によるその現実化のプロセスを芸術実践として試みる。2016年、米経済紙Forbes「30 Under 30 Asia」アート部門選出。
僕は現在、インドネシアのジョグジャカルタという古都を拠点に活動しています。理由は、ジャワの文化や日常の中の端々に人間のあるべき姿を感じており、ある種日本人が忘れてしまったようなものをジャワの生活の中に見出しているからです。その日常に触れていることが自分のインスピレーションになっています。
今回の古都祝奈良では、僕の作品をとおして、僕が「あるべき姿」と捉えているインドネシアの日常の一部がこの街にやってきます。それと触れる時間をとおして離れている他者、身近にいる他者との違いというものを乗り越えて、そこにある微かな重なりに目を向けたり、楽しむ時間が生まれていけば良いなと思っています。
奈良は外からみると観光地のイメージがつよい街ですが、そのイメージのとなりや裏側に、さまざまな側面を持つ街だと思いますし、社会は本来そういう多面性をもっています。今回のプロジェクトで、僕が普段インドネシアで感じているような異国の日常の時間が作品を介して奈良のまちにやってきます。観賞するだけでなく実際に体験できる参加型の作品ばかりなので、堅苦しく考えず、まずは実際にまちなかで触れてみてもらえたら嬉しいですね。結果的に奈良の色んな側面を照らし出しながら、今回のタイトルである「You are Me(あなたはわたし)」に込めた、かけ離れた国や他者とつながる実感が生まれればと思っています。
問合せ 奈良市アートプロジェクト実行委員会事務局(文化振興課内)
(〒630-8580 二条大路南1丁目1−1 電話番号:0742-34-4942 ファックス番号:0742-34-4728 Eメール:art@city.nara.lg.jp)