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本品は浄土宗の浄国院に伝えられてきた絵画であり、同宗の所依経典の一つで『大経』と通称される『無量寿経』の内容を表したものです。落款と裏書から、浄国院第八世澄誉の懇望により古磵(こかん)(1653-1717)が描いて正徳2年(1712)に什物になったことがわかります。
古磵は浄土宗の画僧で、明誉、證蓮社とも号し、浄土宗諸寺院の絵画制作を多く行ったほか、後年には薬師寺などの絵画も手がけました。京都の報恩寺の住職を務めたのち、大和郡山にあった西岸寺に住んで活動したと伝え、本図の裏書にも「郡山西岸寺古磵和尚」と記されます。浄国院は宝永元年(1704)の大火で伽藍が焼失し、正徳年間に本堂再建が進められており、本図の制作も寺院再興の取組の一環として古磵に依頼されたと考えられます。裏書には、浄国院の第七世までの歴代上人をはじめとする多数の人名も記されていて、本図が二世安楽祈願のために用いられたことがうかがえます。
図様は、法蔵比丘が四十八の誓願をたてて無量寿仏(阿弥陀仏)となったこと、善行を積めば極楽往生でき悪行を犯せば地獄に墜ちることなど、経典の所説を画面を分けて順に描き、各場面に経文に基づく文言を書き添えます。こうした図様の『無量寿経』の絵画は古磵以前の作例が知られず、経典に通じた古磵が、阿弥陀浄土図や地獄絵などを参考にして図様を創出したとみられます。画面中央部の仏菩薩などの諸尊は整った姿形に描きます。周縁部に人の悪行などのありさまを数多くつぶさに描写し、人物を活き活きと表現していることも注目されます。薄墨による描線の筆致は柔らかく、それを生かすように彩色を掘り塗りし、部分的に色線と暈取を施すなど丁寧に描いており、総じて練達した筆技がうかがえます。
本図は古磵の落款があって制作の時期と願主もわかり、古磵が力を注いだ浄土宗関係の画作のうち、優れた技量がよく表れた仏画として特に重要な遺品です。