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元林院町(がんりいんちょう)は、かつて興福寺の別院 元林院があった場所といわれており、江戸時代には絵屋町とも呼ばれ、絵師の住む町として知られていました。町の北端を流れる率川(いさがわ)にかかる絵屋橋(ゑやはし)が現在もそのなごりを伝えています。
その後、明治時代からは「花街 元林院」として栄えました。そして今、9月の元林院かいわいでは、中秋の名月や采女(うねめ)祭りなどにあわせたイベントが行われるようになりました。
史料保存館 9月のならまち歳時記では、元林院町のイベントにあわせ、「絵屋町 元林院」と、「花街 元林院」の歴史について、ゆかりの史料などで紹介します。
現在の元林院町の町並み
奈良惣中御改帳(ならそうちゅうおんあらためちょう)元禄2年(1689)
個人蔵 奈良町の各町の家数や、かまどの数、寺社の場所を記録した史料です。元林院町については、南北の町を絵屋町といい、絵屋町の中ほどを西に入る辻子(づし)を四の室辻子といったことなどが記してあります。
八相涅槃図(はっそうねはんず)部分
貞享2年(1685)金躰寺蔵 涅槃図とは、釈尊が沙羅双樹の下で涅槃に入る時、周囲に弟子をはじめ菩薩、動物などがなげき悲しむ様子を描いた絵です。「絵師 竹之坊与次兵衛定宣(えし たけのぼうよじべえさだのぶ)」と銘があります。
正月の芸妓の正装 昭和30年(1955) 絹谷四郎氏撮影 個人蔵
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