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奈良の酒は室町時代のころから、おもに寺院で造られたので「僧坊酒」(そうぼうしゅ)と呼ばれ、とりわけ菩提山寺(ぼだいせんじ)(正暦寺)の酒が良い酒とされていました。安土・桃山時代には、それまでの濁酒(だくしゅ)にかわり、清酒の原型となる「諸白造り(もろはくづくり」、殺菌のための「火入れ」などの新しい技術が生み出され、奈良の酒は「南都諸白(なんともろはく)」と呼ばれる名酒として世に知られていました。
当時の酒造りには、冬から春に造る夏酒、秋から冬に造る寒酒の二種類がありました。初夏には夏酒造りの「火入れ」が行われ、また江戸時代には夏向きの銘柄も造られており、夏は酒造りにとって重要な季節でした。
7月の「ならまち歳時記」では、今、改めて奈良ブランドとして注目されている「奈良の酒 南都諸白」の始まり、奈良の酒屋の歴史について紹介します。
大和名所図会(やまとめいしょずえ)
秋里籬島(あきさとりとう)著 春朝斎竹原信繁(しゅんちょうさいたけはらのぶしげ)画
寛政3年(1791)
奈良県全体を網羅した全6巻7冊の地誌であり、名所旧跡の案内書です。室町時代に「僧坊酒」で知られていた菩提山正暦寺の図が掲載されています。
讃岐屋の図
菊屋の図
大和名勝豪商案内記(やまとめいしょうごうしょうあんないき)
川崎源太郎編 明治17年(1884)
明治前期の奈良町の名所・商家・職人・学校などが記されています。江戸時代からの造り酒屋であった讃岐屋兵介(さぬきやへいすけ)、菊屋治左衛門(きくやじざえもん)などの店の様子が描かれています。
奈良繁昌記
表紙
あられ酒などの広告
奈良繁昌記
西田誠三編 明治32年(1899)奈良の商工業に関する案内書です。「商業の案内」、「工職業之部」、「技芸及雑業之部」の三部構成になっています。あられ酒などの広告が掲載されています。
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