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薪能(たきぎのう)は現在毎年5月に2日間興福寺と春日大社で行われる伝統行事で、その起源は、平安時代の貞観11年(869)に興福寺の修二会(しゅにえ)で催された薪猿楽(たきぎさるがく)にあると伝えられています。
江戸時代の薪能は、2月7から14日まで8日間にわたって行われ、奈良町の人々も楽しみにしていた年中行事のひとつでした。今回の展示では、江戸時代の薪能について記録した史料や絵図、明治になって衰えた薪能の復興を目指していた明治期の薪能当日のプログラムなどを紹介いたします。
薪能舞台配置図(部分)享保13年(1728)
興福寺南大門前で薪能を行う時に設けられた舞台の配置図で、今回が初公開です。一緒に展示中の大和名所図会に描かれている薪能の様子と見較べると、より実際の舞台のイメージがえがきやすくなりますので、この機会にぜひ、二つの史料を同時にご覧ください。
奈良奉行所町代日記
文化4年(1804)(個人蔵・奈良市指定文化財)
奈良奉行所に詰めていた町代(ちょうだい)の執務日記です。町代は奈良町の有力者から選ばれる町政事務を担当する町役人です。
写真は、文化4年(1804)の薪能の記録で、2月7日から14日に行われる興福寺南大門での能のことが記されています。
和州奈良之図 絵図屋庄八板(えずやしょうはちばん)
天保15年(1844)
興福寺を中心に東を上に描き、左上に社寺の年中行事・祭礼などを四角で囲んで書いています。薪能は「興福寺南大門ニヲイテ毎年二月七日より十四日まで四座の役者相勤ム」と説明しています。
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