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大和名所図会 秋里籬島著 春朝斎竹原信繁画 1791年(寛政3)
ならまちの桜には、歌に詠まれたり、絵図や名所案内記などにその伝承とともに描かれている桜があり、当時も今も、旅人の目を楽しませています。今回の展示では、奈良の名所となっていた桜についての史料と、「植桜楓之碑」(しょくおうふうのひ)にみられる幕末の奈良奉行、川路聖謨(かわじとしあきら)の業績などについて紹介いたします。
「植桜楓之碑」拓本屏風(個人蔵)
植桜楓之碑
奈良奉行 川路聖謨が、興福寺・東大寺の境内へ桜・楓の植樹を発案、町民にも呼びかけ、植樹は高円・佐保地域にまで及んだといわれています。これを記念して、1850年(嘉永3)3月に建てられた石碑「植桜楓之碑」は、現在も猿沢池北側の五十二段のかたわらに残っています。
「ならめいしょゑづ」 なら大仏 絵図屋庄八版 江戸時代
猿沢池の北側五十二段をあがった左手に「やうきひノさくら」と描かれています。
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