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「正倉」とは、役所や寺院などの大切な宝物を収納する倉のことで、正倉を塀などで囲んだ範囲を「正倉院」と呼びます。ほかの寺院にも正倉があったことは記録からわかりますが、現在残っているのは東大寺の正倉だけです。
正倉院は明治以降、国が管理するようになりましたが、江戸時代までは東大寺の正倉として管理され、正倉院を含む東大寺境内の整備に奈良町の人たちも大いに協力しました。
例えば、町の記録には、大仏再建のための寄付が奈良町でも募られていたこと、正倉院の修理のときに奈良奉行所から各町へ市中の警備をするようにとの通知が出されていたことなどが記されています。
史料保存館11月のならまち歳時記は、奈良の秋の恒例行事として定着している正倉院展にちなみ、あまり知られていない、江戸時代の奈良町と東大寺、正倉院とのかかわりを紹介します。
天保四年 正倉院開封之図(部分) (個人蔵)
天保4年(1833)に正倉院を修理するために、開封したときの様子を描いた絵図です。勅使や奈良奉行、与力、東大寺の僧をはじめ、大工や鍛冶が控えている様子などを細かく描いています。
奈良名勝写真帳(ならめいしょうしゃしんちょう)
大正8年(1919) 奈良市役所発行
奈良市役所が発行した、奈良市の名勝を写真と解説で紹介している写真集です。大正時代の正倉院の様子がわかります。
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