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奈良の鹿は、春日の神が茨城県の鹿島から白鹿に乗って奈良に来たという伝承から、「神鹿(しんろく)」として大切にされてきました。
鹿の角きりは、江戸時代、町中を歩き回る鹿が人にケガを負わせたり、鹿同士が角を突き合ってケガをすることを防ぐために行われるようになりました。
現在は、毎年10月、鹿苑(ろくえん)で行われ、奈良の秋の年中行事となっています。
史料保存館 10月のならまち歳時記は、鹿の角きり行事にちなんで、角きりの様子を描いた版画や角きりにかかわる古文書などをとおして、奈良の鹿と、奈良町の人たちとの関わりについて紹介します。
南都神鹿角伐之図(なんとしんろくつのきりのず) 江戸時代 個人蔵(写真パネル)
江戸時代の角きりの様子を描いた版画です。現在の角きりは春日野にある鹿苑(ろくえん)で行われますが、江戸時代には、奈良の町の中で、各町の出入口にあった木戸を閉めてその中で行われていた様子が描かれています。大勢の見物人が集まっており、当時も大変人気のある行事であったようです。
井上町町中年代記 五番 文化十三年 八月吉日
(いのうえちょうちょうちゅうねんだいき ごばん
ぶんかじゅうさんねん はちがつきちじつ)
奈良市指定文化財 井上町有
井上町に残る町記録です。文政5年(1822)7月29日の記事に、春日神鹿保護について、奉行所の口達(こうたつ・口頭での言い渡し)が記されています。
「近年、鹿の数がだんだん減少し、このままでは鹿が絶えてしまう。よって、鹿にみだりに乱暴するものがないように取締り、犬がうろうろしないよう、遠くへ置くことを命じる。これらの取り締まりを決しておろそかにしないように」とあります。
角きり絵はがき
近代明治以降も角きり行事は奈良の年中行事のひとつとして人気があり、絵はがきもつくられました。
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