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奈良を代表する信仰行事である春日講(かすがこう しゅんにちこう)は、奈良町や周辺の農村で行われた行事で、決まった日に町の会所などに集まり、春日社の神様を描いた春日曼荼羅(かすがまんだら)や鹿曼荼羅(しかまんだら)などをお祭りし、春日社に詣でて神楽(かぐら)を奉納するものです。特に正月は、町中そろって春日社へ初詣に行き、その後町内一同で祝宴を開くなど盛大に行われました。そのときには、新しく住民になった人の祝儀を披露することもあり、住民の結束を深める場としても大切な行事でした。
史料保存館1月のならまち歳時記は、町々に残る記録をとおして、正月の春日講の行事について紹介します。
春日宮曼荼羅
(南市町自治会・重要文化財)
鎌倉時代
春日鹿曼荼羅
(西城戸町)
室町時代
春日鹿曼荼羅
(東九条春日元講)
天正6年(1578)
春日講が行われるとき、祭壇にかけられたのは春日信仰を具体的にあらわした春日曼荼羅です。主に春日野と社殿、春日山を描いた春日宮曼荼羅と、春日の神様が鹿に乗ってきたという由来にもとづき、背中に鞍をつけ、その上に榊を立てた鹿を春日野の風景の中に描いた春日鹿曼荼羅です。
今回は、奈良の町に伝わり、町の人々が大切に祭ってきた春日曼荼羅を写真パネルで展示します。
江戸時代の春日講の年初めの会は、正月21日に開かれました。この日には、春日の神様をお祭りするだけでなく、新しく町の住人となった人が町民に紹介される重要な場でもあり、また、子供の誕生や結婚、家の代替わり、還暦、春日講の世話役である年預(ねんよ)になった祝いなど、いろいろな祝儀(お祝い事)を町民に披露し、そのお祝い事を町民みんなで共有する日でもありました。
その祝儀の項目や金額などの規定を書き留めた町の記録を紹介します。
諸祝儀物受納記・町内什物目録
(しょしゅうぎものじゅのうき・ちょうないじゅうもつもくろく)
(中新屋町有 寄託史料)
明治7年(1874)
春日講の開催準備とその次第、祝儀の項目についても記録されています。祝儀にはいくつかの項目があり、お祝い事のあった家は、町に祝儀を届ける習慣になっていました。
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