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興福院は佐保山南麓の傾斜地に位置します。寛文5年(1665)に尼ヶ辻から現在の地に移され、元禄年間(1688-1704)にかけて伽藍が整えられました。旧伽藍における江戸時代初期の整備では、大名で茶人・作庭家としても知られる小堀遠州や春日社の神職で遠州と親交があった茶人の久保権大輔(ごんだゆう)が関わっています。本堂・大門はその旧伽藍から移築された建物で、客殿は古材を用いた再建とみられています。庭園としては、本堂に向かう参道西側の客殿庭園と東側の露地の二つがあります。
客殿庭園は、客殿の東側から北側に広がります。客殿東面を平坦地としたうえで、北と東の傾斜地に植栽や石組を配し、北斜面の裾に池と水路を配しており、植栽にはアカマツ、ツバキなどのほか、刈込みとしてツツジ、アセビなどが用いられています。平坦地から北東方向に向かって斜面を登る石階段が設けられており、東側の参道との境や北側は生垣で区切られています。作庭は伽藍が整えられた元禄年間とみられていますが、石段の西側にある水路状の石敷きなどは後世のものとみられます。
露地は、3棟の茶室に伴うもので、参道の東側に位置します。参道沿いの門を潜って延段(のべだん)を南に進むと待合に至り、待合からは飛石を伝って茶室に赴きます。茶室は、東から長闇堂(ちょうあんどう)・龍松庵・雲笑亭の3棟が東西に並びます。長闇堂は、久保権大輔が有した建物を昭和2年(1927)に古図をもとに復元した茶室です。龍松庵は公慶上人が自坊の龍松院に建てた八窓庵の写しとされる茶室を、雲笑亭は奈良公園の荒池の南にあった浅香亭を、いずれも昭和3年に移築したもので、雲笑亭の扁額は権大輔の筆によるものとされます。雲笑亭の北側には、移されてきた権大輔の墓石もあります。茶室の復元・移築と同時期に南側に作られた露地は、四ツ目垣で茶室ごとに区切られています。中央の龍松庵の露地には長径2.5m程の石の手水鉢が据えられ、その傍らに石燈籠が据えられます。植栽は長闇堂露地と雲笑亭露地にある東西2本の大きなイチョウが特徴的で、他に権大輔ゆかりの春日社に因んだと思われるナギやアセビのほか、イロハモミジ・モッコクなどが植わります。
興福院境内は、佐保山南麓の斜面地に立地することから、本堂ならびに本堂と客殿を結ぶ渡り廊や客殿北の高台に位置する霊屋からの奈良市街地方面への眺望が卓越しており、斜面地形を巧みに活かした客殿庭園や3棟の茶室と一体になった趣のある露地と合わせ、全体が観賞上の価値が高い庭園的な風致景観を形成しています。よって、客殿庭園と露地を含む境内の中心部を名勝として指定し、その保護を図ろうとするものです。
件名 | 興福院庭園 |
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かな | こんぶいんていえん |
指定(分類) | 奈良市指定文化財(名勝) |
指定日 | 令和6年3月27日 |
所在地 | 奈良市法蓮町881の一部・883 |
小学校区 | 佐保 |
面積 | 5686.9平方メートル |