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奈良町の氏神さん 御霊神社とその祭り

更新日:2021年9月7日更新 印刷ページ表示

 奈良町には、町ごとにお祭りしている神社とは別に、数十町がともにお祭りしている広い氏子圏をもつ神社がいくつかあります。
 薬師堂町に鎮座する御霊神社はそのひとつで、古くは飛鳥から平城京に移された元興寺の鎮守社に位置づけられ、その後も近世、近代を通じて奈良町南西部の町々の産土社として人々に親しまれてきました。また御霊神社は西紀寺町の祟道天皇社とともに「南都二大御霊社」ともいわれ、悪疫退散の神威をもつ神社とも考えられてきました。毎年10月12日、13日に行われる例祭は、15世紀後半の史料に「元興寺御霊祭」として旧暦9月13日に執行されたことが記されていて、すくなくとも中世に遡る歴史をもつ大祭です。
 今年もコロナ禍のなかで秋祭りの季節を迎えようとする奈良町で、長く人々に親しまれてきた御霊神社とその祭りについて紹介します。

【 期間 】 令和3年9月7日(火曜日)~令和3年10月31日(日曜日)
[休館] 月曜日(祝日は開館)9月21日(火曜日)、24日(金曜日)
【 時間 】 午前9時~午後5時 (入館は午後4時30分まで)
【 入館料 】 無料
【 主な展示品 】 ・祭礼渡御町々順路記(御霊神社蔵)
・奈良町絵図
・元興寺・御霊神社境内図(華厳宗元興寺蔵)
・井上町町中年代記(井上町有)
・奈良奉行所町代日記(個人蔵)
・森川杜園古希祝い囃子狂言番組
【 展示解説 】 展示解説を、史料保存館で期間中1回行います。約30分の予定。申込は不要です。
10月2日(土曜日) 午後1時半~
【 後援 】 歴史街道 〈歴史街道HP<外部リンク>はこちら〉

 

                                                           

 

境内図

元興寺・御霊神社境内図  
江戸時代 華厳宗元興寺蔵

 内題に「大和国添上郡南都七大寺之内真言宗元興寺」とある元興寺と御霊神社を描いた絵図で、近世の元興寺と御霊神社境内の様子が詳しくわかります。年記はないものの同寺には同じ構図で内題、注記が同じ寛政9年(1797)の境内図があることや、安政6年(1859)に焼失した元興寺五重塔が描かれていることから、1800年前後に作られたものと思われます。

 

 

 
町々順路記
祭礼渡御町々順路記・渡御列帳
 大正13年、昭和13年、14年、昭和23年、24年
御霊神社蔵
 渡御の行列順に諸役を記した帳面と町々を巡る順番を記した帳面です。(名称は年次によって少しずつ違います)。祭りの時に携帯できるサイズ(9cm×20cmなど)になっていて、当日、現地で行列を確認する時などに使えます。御霊神社には時期が違うものが複数残っていて、これらを比較すると大正から昭和の行列と諸役の変化もわかります。

   

 

表紙 記事写真
井上町町中年代記 四番
 江戸時代 井上町有 奈良市指定文化財
 御霊神社の元の鎮座地とされる井上町の町の記録『町中年代記』のうち、文化8年(1811)の記事に、御霊神社の屋根替えがあり、9月15日から19日まで「砂もち」行事があったと記されています。「砂もち」は、寺社の造営の時に氏子等が土砂を運ぶことですが、堂社の造営を祝う祝祭的な意味合いが強く、参加する人々は意匠を凝らした行列や踊りをしたり、様々な作り物を造って披露したり余興を行うなどして賑わいを作り出しました。
 御霊神社の砂もち行事でも、氏子の町々が色々な練り物(趣向を凝らした行列)を出したとあり、井上町も仮装をして竹鼻町から砂を運んだようです。

 

※写真の無断転載禁止