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世界遺産と奈良文書

更新日:2021年11月24日更新 印刷ページ表示

入江泰吉写真

入江泰吉「霞たなびく興福寺伽藍」

1946年に設立されたユネスコの主要な事業のひとつ、文化財の保護。1972年には「世界遺産条約」が採択されました。当時の国際基準となっていたのが1964年の「ベニス憲章」で、石材、れんがといった耐久性のある建材を使っているヨーロッパの古代建築物に沿ったこの基準は、オリジナルな状態の厳密な保存を求めるものです。
日本の木造建築は高い技術を伝承しながら修復を重ねて守られてきました。傷んだ木材を継ぎはぎしたり、取り換えたり、解体修理も行われます。しかし、こうした日本の伝統的なやり方は、オリジナルに手を加えるものであるため、国際基準では評価が難しかったのです。

日本は1992年に世界遺産条約に批准します。翌年、日本初となる世界遺産「法隆寺地域の仏教建造物」、「姫路城」の登録の際、「木・修復の文化」とどう向き合うかが議論となり、1994年に本市で国際会議「世界文化遺産奈良コンファレンス」が開催されました。そこで採択された「奈良文書」は遺産の性格や文化的文脈などを踏まえた文化の「多様性」を認めるものでした。ベニス憲章の理念を拡大した「奈良文書」は日本の木造建築のみならず、アジアやアフリカなどの、まさに多様な文化遺産の保護に扉を開いたのです。
 
そして1998年、「古都奈良の文化財」として8つの資産全体が世界文化遺産に登録されました。
 

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