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正長元年柳生徳政碑

更新日:2021年2月1日更新 印刷ページ表示

 市東部の柳生町の旧奈良街道わきに、3~4m大の花崗岩が露出しており、その南面中央に像高1.1mの半肉彫りの「疱瘡地蔵」と呼ばれる地蔵菩薩像が彫られています。地蔵の左右には花瓶を削り出し、脇に「元応元年(1319)己未十一月□日」の銘が残っています。碑文は石仏に向かって右下にあり、縦36cm、横10.5cmの長方形の枠取りの中に四行27文字が陰刻されています。

碑文「正長元年ヨリ/サキ者カンヘ四カン/カウニヲ井メアル/ヘカラス」

釈文「正長元年よりは神戸四ヶ郷(春日社領の大柳生、小柳生、阪原、邑地)に負目(負債)あるべからず」

 大正14年(1925)に地元柳生町の研究者杉田定一氏が正長元年(1428)の土一揆をした記念する碑文とする説をとなえ、現在その説が有力となっています。
 陰刻の時期については諸説ありますが、正長元年徳政一揆によっておこなわれた負債の取り消し(徳政)について民衆が刻み残した記念碑としてその価値が高いものであり、今日まで残る徳政碑として中世の法制史・経済史上の貴重な資料となっています。


徳政碑覆屋付全景
徳政碑覆屋付全景(令和元年撮影)

全景(碑文は右下墨跡)
全景(右下の墨跡が碑文・平成10年頃撮影)

碑文写真
碑文

碑文拓本写真
碑文拓本

 
件名 正長元年柳生徳政碑
かな しょうちょうがんねんやぎゅうとくせいひ
指定 史跡
指定日 昭和58年5月19日
所在地 奈良市柳生町951
所有者 奈良市
小学校区 柳生
年代 鎌倉~室町

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