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本堂の南西、鐘楼の北に東を向いて建てられていましたが、昭和54年(1979)に本堂東の現在地に移され、南向きに変更されました。平面は方三間で、右側面中央は正面と同じ桟唐戸、左側は引違戸とし、縁は正面と右側にだけ設けており、当初から左右の構えが異なる建物です。改造は須弥壇を後退させただけで、小規模ですが上質の建物です。
寺に残る棟札から寛永元年(1624)の建立であることが知られています。
西大寺護摩堂
幕末または明治の初めに摂津の多田院(現 兵庫県川西市の多田神社)から移されたものです。軒下や縁の下に三手先組物を用いた華やかな建物です。棟木など屋根裏の材料の一部は新しいものに替っていますが、その他はほとんどの部材に解体時の番付が残り、移築のあったことがわかります。現在、上階の柱間は開放ですが、当初は連子窓や扉の付いた部分もあったことが痕跡からわかります。建立年代は明らかではありませんが、多田院は寛文年間(1661~1673)に復興されたことが知られており、この時に建てられたものと考えられます。全体の姿から細部までよく整った、質の高い貴重な建物です。
西大寺鐘楼