本文
本作は等身大の十一面観音立像です。長谷寺本尊像の形式に倣い、右手に錫杖(しゃくじょう)、左手に水瓶(すいびょう)を執り、方座(ほうざ)上に立つ姿に表されます。昭和37年に、像内から結縁交名(けちえんきょうみょう)の紙片が発見されました。その中に十一面観音にちなんだ「十一文」などの奉加銭(ほうがせん)多数や、「建武元□」(□は判読不能文字)の記があり、結縁勧進(けちえんかんじん)と造立時期を示唆するものとして注目されます。
ヒノキの寄木造(よせぎづくり)で、目・唇・髪などを彩色するほかは素地(きじ)仕上げとしています。寄木造の像を素地で仕上げるのは、鎌倉時代中期以降に流行する造像法です。頭部を前傾させた姿勢は均整を保ち、腰部が厚く、量感に富んでいます。面貌(めんぼう)は面長で、目尻の上がった目は明快であり、口を強く結んで頬が豊かに張り、意志的な表情をなしています。衣褶(いしゅう)も深い彫りで表され、鎌倉時代末期から南北朝時代の堅実な表現をみせます。
作者については、作風から当代に活躍した仏師康成(こうせい)の可能性が高いことが指摘されています。康成は、慶派仏師の流れを汲む父康俊(こうしゅん)から「南都大仏師」の称号を継承した、この時期の代表的な南都仏師です。康成の在銘遺品は正和四年(1315)以降の作が知られ、文和二年(1353)の金峯山寺薬師如来坐像と本像とは、面貌や衣褶の特徴が共通します。正平十二年(延文二年、1357)の千手寺千手観音立像とは、面貌の特徴に加えて、裙(くん)・腰布の形状と褶曲表現などが近似します。さらに、本像はこれらより表現上からも造立年代が若干先行するとみられ、結縁交名の年記も勘案すると、建武元年(1334)頃に康成が手がけたものと推定されます。
本像は保存状態も良好で、制作時期と作者の推定が可能な、南北朝時代初期の基準作としての意義をもつ仏像であり、彫刻史上注目すべきものです。また奈良市内に所在する、中世の南都仏師の作風を伝える仏像としても貴重です。
結縁交名の内一片
件名 | 木造十一面観音立像 附 結縁交名 一括 内一片に建武元□の記がある |
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かな | もくぞうじゅういちめんかんのんりゅうぞう つけたり けちえんきょうみょう |
数量 | 1躯 |
指定(分類) | 奈良市指定文化財(彫刻) |
指定日 | 平成28年3月16日 |
所在地・所有者 | 奈良市六条一丁目35-10 観音寺 |
小学校区 | 六条 |
形状等 | 像高184.5cm 台座裏に享保二十年(1735)の墨書がある。 結縁交名の紙片に「奉加銭十一文 大興寺分/良専房沙汰」「捧加銭参十壹文 明[圓]/建武元□」等の墨書がある。 (/は改行、[ ]は推定文字、□は判読不能文字を表す) |
備考 | 南北朝時代 |