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中川家は18世紀後半から奈良で織物業を営んだ商家で、大正3年(1914)に大阪電気軌道奈良駅(現近鉄奈良駅)の建設に伴って、東向中町から今辻子町の現在地に移り、戦前まで織物業を営んでいました。
主屋は、大宮通を挟んで油阪の蓮長寺を見通すことのできる通りに東面して建つ、木造つし2階建、桟瓦葺の町家です。正面は、平格子と出格子をたて、霧除を付し、上部は出桁(※)で軒を深め、虫籠窓と両端に袖壁を設けます。内部は、1間半の吹き抜けの広い通り土間に沿って居室が2列に並び、1階2階それぞれに座敷を設けるなど、規模の大きさが窺えます。座敷はどちらも、床・棚・天袋・地袋・付け書院を備える端正な座敷飾りを構え、次の間境には透かし彫りを施した板欄間を入れるなど、大正期らしい洗練さを備えます。
奈良町における伝統的な町家の形式を踏襲し、やや規模が大きく、全体に端正な意匠で材料や造りが上質な大正期の町家で、奈良町における近代の町家の好例として価値があります。また、大正期の電車敷設に伴う移転により建築された経緯を示し、奈良の近代史を物語る資料としても評価できます。
※出桁(だしげた)
梁などを突き出して側柱面より外に桁を出したもの。近世民家によく見られる。
中川家住宅主屋
主屋背面から離れの間を矩折れに繋ぐ渡廊下で、切妻造、桟瓦葺の建物です。中庭に面する北側を板敷きの渡廊下とし、南側に浴室や便所などを配します。奈良町の町家では、廊下部分は開放の縁とするのが通例ですが、当家ではガラス窓が入る点に特徴があります。
奈良町の通例と異なる形式で建築年代を反映するとともに、腰壁・ガラス窓・欄間など瀟洒な意匠でまとめられた、近代における奈良の町家の屋敷構えを伝える建物の好例として価値があります。
主屋後方に中庭を挟んで建つ、東面入母屋造、西面切妻造の建物です。庭側は腰を洗出しとし、上部を鼠漆喰塗りでガラス窓をたてます。縁を中庭側ではなく南側に配する点は、日照を考慮した近代的な建築計画を反映したものとみられます。
主屋、渡廊下とともに中庭空間の構成要素で、近代における奈良の町家の離れの例として価値があります。
敷地西奥に建つ、土蔵造2階建、本瓦葺、桁行12メートル、梁間4.9メートルの規模の大きい蔵です。伝統的な土蔵造ですが、基礎を煉瓦造とし、窓に鉄扉を入れるなど、一部に近代的な材料が用いられています。
大正期の奈良の町家の屋敷構えを構成する建物として価値があります。
南隣地で操業していた当家の織物工場と住宅敷地を区画していた煉瓦塀です。花崗岩谷積とした擁壁上に布石を伏せて、煉瓦を長手積みに15段積み、頂部は2段に迫り出して笠石状としています。北面に約1間間隔に控え壁を設けています。伝統的な町家の屋敷地に近代の趣を添える塀です。
件名 | 中川家住宅主屋 中川家住宅渡廊下 中川家住宅離れ 中川家住宅蔵 中川家住宅煉瓦塀 |
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かな | なかがわけじゅうたくおもや なかがわけじゅうたくわたりろうか なかがわけじゅうたくはなれ なかがわけじゅうたくくら なかがわけじゅうたくれんがべい |
数量 | 各1棟 |
登録(分類) | 登録有形文化財(建造物) |
登録日 | 平成26年12月19日 |
所在地 | 奈良市今辻子町 |
所有者 | 個人 |
小学校区 | 大宮 |
構造形式 | 主屋:木造2階建、瓦葺、建築面積143平方メートル 渡り廊下:木造平屋建、瓦葺、建築面積30平方メートル 離れ:木造平屋建、瓦葺、建築面積24平方メートル 蔵:土蔵造2階建、瓦葺、建築面積84平方メートル 煉瓦塀:煉瓦造、延長20メートル |
年代 | 主屋:大正4年(1915)/平成13年(2001)改修 渡り廊下:大正4年(1915)/平成13年(2001)改修 離れ:昭和前期/平成13年(2001)改修 蔵:大正4年(1915)/平成13年(2001)改修 煉瓦塀:大正4年(1915)頃 |