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木造釈迦如来坐像

更新日:2021年1月27日更新 印刷ページ表示

 本像は与願・施無畏印を結んだ釈迦如来坐像であり、銘文等により、東大寺大仏と大仏殿の修復勧進に尽力した公慶上人(1648-1705)が深く関わり、「大仏腹内」の「古木」を使って造られたことが知られる仏像です。
 東大寺大仏と大仏殿は永禄10年(1567)に罹災した後、江戸時代になってから本格的な復興が始まり、元禄5年(1692)の大仏開眼と宝永6年(1709)の大仏殿落慶の二大法要が営まれるに至ります。大仏の修復過程で、元禄元年(1688)から同3年にかけて、体内に設けられていた構造補強用の木組みの部材が新材に取り替えられました。『公慶上人年譜』(宝永2年〈1705〉序)によると、取り出された朽木を用いて公慶上人が約千余りの仏像を造り、これを乞う人が多かったといいます。本像には「大仏腹内」の「古木」で造った旨が公慶上人の花押とともに墨書されており、同様の旨の銘文を伴う小さな仏像がほかにも少数ながら知られていて、実際に公慶上人が古木による造仏事業を企画し、17世紀末から18世紀初めごろに当代の仏師たちがこれらを造ったと考えられています。
 これらの遺品の中で、本像は台座・光背も含めて大仏の古木で造られたとみられ、全体の保存状態も非常に良いことが特記されます。さらに、頭体の均整がとれていて、衣の皺のさばき方も流暢で、手慣れた技量が高く評価されます。肉身に金泥を塗って衣部に截金文様を施す仕上げも非常に丁寧であり、他例に比べて入念な技法的特色を示します。
 像底には「納興福院」と墨書した紙片が貼付されています。公慶上人が縁戚関係から興福院と深い関わりがあったことが知られており、造立当初に興福院に納入された可能性があります。
 本像は東大寺大仏の江戸復興期の歴史の一端を知る上で貴重な仏像であり、また公慶上人が制作に関与し、公慶上人との関係の深い興福院に伝来した江戸彫刻の遺品として、近世奈良の地域史の上でも注目すべきものです。

木造釈迦如来坐像(画像提供:奈良国立博物館 撮影:森村欣司)

 
件名 木造釈迦如来坐像
  像底に南都大仏腹内之以古木造之の銘がある
かな もくぞうしゃかにょらいざぞう
数量 1躯
指定(分類) 奈良市指定文化財(彫刻)
指定日 令和2年3月27日
所在地・所有者 奈良市法蓮町881 興福院
小学校区 佐保
形状等 像高18.8cm
像底墨書「南都大佛/腹内之/以古木/造之/公慶(花押)」
像底貼紙墨書「納興福院」
(/は改行を表す)
備考 江戸時代