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多聞城跡は、東に奈良と京都を結ぶ街道を望み、南に東大寺や興福寺をはじめ奈良の町を見下ろす高台にあり、松永久秀がこの地に城を築いた意図がよく窺えます。
城の様子は、「ルイス・デ・アルメイダの書簡」を始め、『多聞院日記』や『柳生文書』などに記述がみえます。これらの史料によれば、城には「多数の塔や塁堡」「多くの井戸」「宮殿」「庭園」「楊貴妃の間」「四階ヤグラ」「本丸」「主殿」や、白く輝く壁、瓦葺の建築物、日本や中国の古い歴史の描写で飾られた壁、家臣の家があったとされます。白壁や瓦葺の建物、複数階の櫓の存在は、近世城郭の嚆矢とされる安土城との関わりが注目されています。
昭和23年の学校建設に伴う整地工事で城跡主要部の遺構が部分的に削平され、現在、校舎が建つ地盤面には遺構が残存しない可能性が高いですが、校舎西側と北側に一段高く残る部分には土塁跡や竪堀跡が、南斜面には曲輪跡が残存します。今後、発掘調査によって城の構造のさらなる解明が期待されます。
多聞城跡は、当該期の城郭としては比較的豊富に史料が残り、中世から近世への移行期の城郭として、歴史的にも、考古学的にも重要な遺跡です。よって、周知の埋蔵文化財包蔵地「多聞城跡」のうち、削平されて遺構が残存しない部分を除き、優先して保護すべき範囲を奈良市の史跡に指定します。今後、指定範囲の周囲で城に係る重要な遺構が確認された場合は、追加指定を検討します。
土塁跡
竪堀跡
| 件名 | 多聞城跡 |
|---|---|
| かな | たもんじょうあと |
| 指定(分類) | 奈良市指定文化財(史跡) |
| 指定日 | 令和8年3月26日 |
| 所在地 | 奈良市法蓮町1416-1の一部、1416-8の一部 |
| 所有者 | 奈良市 |
| 小学校区 | 佐保 |
| 年代 | 室町 |