ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
現在地 トップページ > 分類でさがす > 奈良市の魅力 > 文化財 > 文化財 > 文化財 > 史跡大安寺旧境内附石橋瓦窯跡

本文

史跡大安寺旧境内附石橋瓦窯跡

更新日:2024年6月27日更新 印刷ページ表示

場所

 奈良市大安寺・東九条町

 

解説

 大安寺は、天皇の発願により建立されたという起源をもち、藤原京の大官大寺が710年の遷都に際して奈良の地に移された官の大寺です。奈良時代の大安寺は左京四坊の六条・七条にまたがって、十五町(約268,000平方メートル)の寺地を有していました。
 伽藍の配置は、南から北へ一直線上に南大門・中門・金堂・講堂を配し、南大門の南に六条大路をはさんで東西両塔を配置した塔院を設けたもので、「大安寺式」と称されています。
 記録によると、奈良時代の大安寺には僧・沙弥合わせて887人が居住したとされ、来日した唐やインドの僧も止住し、国際色豊かな、国立学術交流センターともいうべき寺院であったようです。
 中世以降、次第に勢力が衰え、境内は耕地化が進みましたが、両塔の基壇跡は高まりとしてよく残っていたようです。大正8年に史蹟名勝天然紀年物保存法が制定された際、「大安寺塔跡」として国の史蹟に指定され、保護されました。昭和43年には旧境内全域が「史跡大安寺旧境内」として国の史跡に指定されています。平成14年に京都府綴喜郡井手町で大安寺で使うための瓦を焼いた窯跡(石橋瓦窯跡)が見つかったことから附指定され、平成18年に名称が「史跡大安寺旧境内附石橋瓦窯跡」とされました。
 奈良市教育委員会では、杉山古墳地区や僧房地区などの史跡の保存整備事業を平成5年度から5次にわたって実施してきました。近年、史跡の西側で新たなまちづくりが始まったこともあり、史跡の恒久的な保存と、より一層の活用を確実に行っていくため、令和元年度に『史跡大安寺旧境内保存活用計画』を策定し、史跡の保護をはかっています。

西塔跡に残る奈良時代の心礎 西塔跡に残る奈良時代の心礎

東塔跡 東塔跡の復元基壇

史跡大安寺旧境内見学用パンフレット [PDFファイル/6.01MB]

『史跡大安寺旧境内保存活用計画』
表紙~第1章 序論 [PDFファイル/7.48MB]
第2章 史跡大安寺旧境内の概要 [PDFファイル/6.11MB]
第3章 史跡大安寺旧境内の価値 [PDFファイル/418KB]
第4章 史跡指定地の現状・課題 [PDFファイル/1.11MB]
第5章 大綱・基本方針 [PDFファイル/849KB]
第6章 保存 [PDFファイル/974KB]
第7章 活用 [PDFファイル/537KB]
第8章 整備 [PDFファイル/496KB]
第9章 管理・運営 [PDFファイル/939KB]
第10章 行動計画の策定・実施 [PDFファイル/411KB]
第11章 経過観察~奥付 [PDFファイル/436KB]

『史跡大安寺旧境内保存活用計画』(全部) [PDFファイル/8.98MB]

 

交通

  • 近鉄奈良駅またはJR奈良駅からバスで「大安寺」下車西へ600m

地図情報

史跡大安寺旧境内 

Adobe Reader<外部リンク>

PDF形式のファイルをご覧いただく場合には、Adobe社が提供するAdobe Readerが必要です。
Adobe Readerをお持ちでない方は、バナーのリンク先からダウンロードしてください。(無料)