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長屋王邸跡

更新日:2024年5月7日更新 印刷ページ表示

 平城京左京三条二坊一・二・七・八坪の地は昭和61年(1986)から平成元年(1989)にかけて行われた発掘調査で大量の木簡が出土したことにより奈良時代初めの左大臣、長屋王の邸宅であったことがわかりました。
 長屋王は、父が天武天皇の長男の高市皇子、母が天智天皇の娘の御名部皇女、妻が元明天皇の娘の吉備内親王で、皇位を継承しても不思議ではないほどの人物でした。平城京遷都に大きな役割を果たした藤原不比等の死後は国政の中心的な地位にありましたが、政治的な対立関係にあった藤原氏には目障りな存在となり、神亀6年(729)に謀反の疑いをかけられ自刃に追い込まれました。長屋王の邸宅は四坪分(約7万平方メートル(阪神甲子園球場約1.5個分))を占め、邸宅の内部は王の住居地区、王家の事務所地区、使用人の住居地区など数ブロックに分かれ、それぞれ塀により区画されていました。
 長屋王邸の井戸やごみ捨て穴からは約4万点もの木簡が出土しました。木簡からは家政を担当した「家令所」に「主殿司」・「酒司」・「縫殿」などの部署があり、「土師女」・「縫殿女」・「椅子作工」などが生活雑器や調度品を邸内で作っていたことがわかりました。また、王家の豪華な食生活の内容のほか犬・馬・鶴が邸内で飼われていたことも木簡から知ることができました。
 長屋王邸から出土した木簡は、奈良時代の高級貴族の生活を知るうえで欠かせない史料であり、重要文化財に指定されています。​


 長屋王邸の位置
 長屋王邸の位置

 長屋王邸解説板 
 長屋王邸跡に設置された解説板

 

件名 長屋王邸跡
かな ながやおうていあと
所在地 奈良市二条大路南
小学校区 大宮
年代 奈良

 

交通

近鉄新大宮駅から西へ徒歩約15分。
近鉄奈良駅または新大宮駅から奈良交通バスで「宮跡庭園」下車すぐ。

地図情報