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石のカラト古墳は、奈良市神功一丁目と京都府木津川市兜台二丁目にまたがって所在する古墳です。京都府側では「風灰(カザハヒ)古墳」とよばれています。「カラト」は唐戸(框を組んで間に板を入れた扉のこと)に通じることから、早くに盗掘にあって石槨(棺を納める部屋)が露出していたことに因む名前とする説が有力視されています。発掘調査の結果、上円下方墳という全国的にも数例しかないような珍しい形をした古墳であることがわかりました。下段の方墳部は一辺約14m、上円部の直径は約10mです。表面には葺石が施されていました。
築造された時期は飛鳥時代から奈良時代初めと考えられていますが、この時期をめぐっては大きく二つの説に分かれています。一つは7世紀末~8世紀初頭とする説で、飛鳥地域の古墳との類似性を重視する見方です。もう一つは奈良時代に入ってから作られたとする説で、墳丘南裾外側から奈良時代の須恵器が出土していることや飛鳥地域の古墳から離れた奈良北方に作られたのは平城京との関係なしには考えられないとする見方です。
このように、石のカラト古墳は大変貴重な古墳であることから1987年に復元整備がなされ、1996年に国の史跡に指定されています。
石のカラト古墳全景(西南から)
件名 | 石のカラト古墳 |
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かな | いしのからとこふん |
指定 | 史跡 |
指定日 | 平成8年7月16日 |
所在地 | 奈良市神功一丁目、木津川市兜台二丁目 |
小学校区 | ならやま |
年代 | 飛鳥~奈良 |