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西大寺跡出土イスラム陶器

更新日:2022年3月28日更新 印刷ページ表示

 中型の青緑釉陶器壺です。平成21年度に奈良市が実施した西大寺旧境内の西南部の発掘調査で検出した8世紀後半~9世紀前半の東西溝から出土しました。すべて同一個体の破片と推定できます。
 復元できる器形は卵球形で底部の伸長化がみられず、高台が外にあまり開かない特徴は古式とされる8~9世紀の製品と類似します。透明感のある表面の青緑色は銅アルカリ釉薬によるもので、肩部に波状文と刺突文があります。頸~肩部にかけての破片には、耳状の把手が外れて釉薬が大きく剥離した痕跡を残します。その特徴から現在のイラク南部の製品と推定されています。口縁部を欠くものの、全体の器形をおおよそ復元できる国内で初めてのイスラム陶器出土例です。
 イスラム陶器に関する文献史料はほとんどなく、おおよその年代を推定できる例は中国福建省福州市の劉華墓(930年没)出土品しかありません。本資料は共に出土した神護景雲2年(768)の紀年木簡から8世紀後半以前に搬入されたと推定でき、現在国内最古の出土例です。また、イスラム陶器の年代を推測できる点でも世界史的に貴重です。
 750年に成立したアッバース朝によってペルシア湾から東アジアへとつながる海上交易路(海のシルクロード)が発展し、中国の広州・揚州は海外貿易港として8世紀後半以降栄えました。青緑釉陶器壺は主に液体を運ぶ容器として海上交易時に使用されたと推定されており、揚州などから博多津を経て平城京へもたらされたと考えられます。
 平城京にはペルシア人の李密翳(736年来日)や破斯清道(765年大学寮勤務)が在住し、8世紀には唐を経由して西アジアから人の来日があったことが『続日本紀』や平城宮出土木簡から知られます。本資料は文物の面において、奈良と西アジアとの繋がりを示す注目すべき資料であり、最も古い時期のイスラム陶器の出土例として高い価値を有するものです。

西大寺跡出土イスラム陶器

 
件名
西大寺跡出土イスラム陶器
かな さいだいじあとしゅつどいすらむとうき
数量 一括
指定(分類) 奈良市指定文化財(考古資料)
指定日 令和4年3月25日
所在地・所有者 奈良市大安寺西二丁目281 奈良市
小学校区 大安寺西
保管 奈良市埋蔵文化財調査センター
形状等 青緑釉陶器壷 33片
法量(復元) 残存高31.2cm・胴部最大径24.6cm・底径9.4cm(口縁部欠損)
備考 8世紀後半以前