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木造十一面観音立像

更新日:2022年3月28日更新 印刷ページ表示

 鹿野園町(ろくやおんちょう)に伝わる十一面観音立像です。右手を垂下し第一指を曲げて錫杖(しゃくじょう)を執り、左手には蓮華茎を挿した水瓶(すいびょう)を握り、方座(ほうざ)上に立ちます。この形制は奈良県桜井市・長谷寺の本尊十一面観音立像の形式を踏襲したものであり、中世に制作が流行した長谷寺式十一面観音像の一例です。
 檜の寄木造りで、頭髪・眉目・唇等に彩色するほかは素地のまま仕上げます。これは中世に普及した造像法であり、いわゆる檀像彫刻の仕上げ法の伝統を踏まえたものです。作風は文亀2年(1502)椿井仏師舜慶(つばいぶっししゅんけい)作の奈良県橿原市・慈明寺十一面観音立像と近似しており、身体の比率をはじめ、腹部を前に出して腰を引く体奥の厚み、目鼻立ちや耳の形、裙(くん)の折返しが大きく垂れるさま、着衣の縁が微妙にうねる質感表現など、全体に両像共通の造形感覚がみられるところから、本像は椿井仏師の舜慶もしくはその工房の作と推測されます。制作年代は慈明寺像に前後する時期とみて大過なく、15世紀末まで遡る可能性もあります。南都で南北朝時代から本格的な仏像制作の伝統を継承してきた椿井仏師の、室町後期の動向を窺わせる一作として注目されます。
 伝えによると、本像は、明治時代初め頃に廃寺になった鹿野園町の梵福寺の本尊でした。『梵福寺観音縁起』(寛文6年(1666)奥書)には、長和2年(1013)に、長谷観音を信仰する朝欣上人の侍童が鹿野園で十一面観音となり梵福寺に安置された旨が説かれており、そうした観音信仰を背景に、当地で本像が尊ばれてきたことが推察されます。
 本像は中世奈良の長谷寺式十一面観音像の一例であり、また室町時代の椿井仏師の作と推測されるものであり、奈良の中世文化史上その価値は高いです。

木造十一面観音立像

 
件名 木造十一面観音立像
かな もくぞうじゅういちめんかんのんりゅうぞう
数量 1躯
指定(分類) 奈良市指定文化財(彫刻)
指定日 令和4年3月25日
所在地・所有者 奈良市鹿野園町337 鹿野園町
小学校区 東市
形状等 像高95.0cm
備考 室町時代