ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
現在地 トップページ > 分類でさがす > 奈良市の魅力 > 文化財 > 文化財 > 文化財 > 内侍原町諸事記録控書

本文

内侍原町諸事記録控書

更新日:2021年3月29日更新 印刷ページ表示

 内侍原町諸事記録控書は、天明7年(1787)から慶応4年(1868)にかけて、公儀の布令や町内の行政的な手続き、事件等の顛末・覚書、風聞等を記した町の記録です。記事は145件を数え、内容や他町の同種の記録からみて、内侍原町の町役人が書き継いだものと考えられます。
 布令(触・口達)は、公儀の一般的な布令(改元や貨幣改鋳等)と奈良奉行所独自のそれからなり、計51通書き留められています。後者は、町年寄・町代の任免や町代制度の改革、奈良晒の生布取引等に関するものであり、奉行所による町方支配の一端がうかがえます。また、奉行所へ提出された町内の職業や諸色値下げ実施に関する調書の控からは、内侍原町の当時の住民構成の実態を知ることができます。
 事件等の顛末・覚書では、会所の寄合参加の条件や年中行事、死鹿対応、捨子養育、訴訟の顛末等、内侍原町内の自治や諸行事に関する記事が見られます。また、天保の凶作飢饉や幕末の米価高騰に際しての難渋人への救恤、元興寺五重塔・本堂の焼失、「異国人」の奈良通行、米屋の打ちこわし、梅本組春日社永代「太々神楽」(内侍原町が講元となり奈良町の68町が参加した大規模な年中行事)等、奈良町全体や寺社に関わる注目すべき記事もあります。
 風聞・見聞に関しては、文政地震や大塩平八郎の乱、安政大地震、桜田門外の変、鳥羽伏見の戦等の記事が見られ、維新期にかけての世相がよくうかがえます。このうち大塩の乱関係では、乱の有様を報じた大坂商人からの書状、残党捜索の触状や人相書、乱後の経過等が書き留められており、甲冑姿で大坂へ向う奉行所与力の様子等、奈良の物々しい雰囲気もうかがえます。
 近世の奈良の各町は、奈良奉行所の町方支配のための行政組織の末端に位置づけられました。多くの町では町役人が、町の行政、自治活動の備忘録として、書き留めるべきと考えた事柄を書き継いだ町の記録を作成しました。しかしそうした記録で、現在確認できるまとまったものは、内侍原町の他に、東向北町・井上町など数町に限られます。
 本史料は、奈良町の町民によって書き残された貴重な町方の記録で、近世後期から幕末維新期にかけての内侍原町の実態を知ることができ、さらに他町の記録と併せ読むことで、当該期の奈良の町民生活の様相を知ることができます。また奈良奉行所の記録がほぼ残存しない現状では、町方で残る本史料は貴重です。近世の奈良町を知るための基本史料として、その価値は高いと考えられます。

内侍原町諸事記録控書 表紙内侍原町諸事記録控書

 
件名 内侍原町諸事記録控書
かな なしはらちょうしょじきろくひかえがき
数量 1冊
指定(分類) 奈良市指定文化財(歴史資料)
指定日 令和3年3月26日
所在地・所有者 奈良市内侍原町42 内侍原町
小学校区 佐保
寄託 史料保存館
形状等 紙本墨書 縦30.2cm 横23.4cm 全173丁(本紙墨付170丁)
表紙「丁 天明七年/諸事記録控書/未 十一月吉日」
裏表紙「内待(侍)原町」
(/は改行を表す)
備考 江戸時代