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絹本著色行基菩薩像

更新日:2021年3月29日更新 印刷ページ表示

 行基(668-749)は仏教を民衆に広めて治水・架橋等の社会事業を行い、菩薩と称えられて没後も崇敬を集めました。文暦2年(1235)に行基の舎利瓶が墓所から発見されると、行基信仰がさらに高まりました。
 本図は行基墓所のある奈良県生駒市・竹林寺に伝来したもので、行基の姿を正面向きに描き、その遺戒を色紙形に記します。旧表装の押紙には、生駒の草野仙坊で母に孝養報恩した42歳の時の影像であること、文永8年(1271)に心恵と照遠の勧進により備中法眼幸守(びっちゅうほうげんこうしゅ)が描いたことなどが録されます。照遠は、戒壇院や竹林寺の興隆に努めた円照(1221-1277)の門人で、竹林寺に住んだことが知られます。幸守は本図以外の画績が不詳ですが、鎌倉時代に南都で活動した絵師に幸円・幸実・幸禅らがおり、幸守も南都の絵師の系譜に連なる一人と推測されています。
 如意と念珠を持つ姿は行基画像の一典型を示すもので、後の枚方市・釈尊寺本(永享7年〈1435〉南都絵所太輔法眼筆)などに受け継がれます。面相部の当初の料絹が欠失するものの、柔らかな手指の描写や、肥痩を交えた力強い衣文線、巧みな木目表現、色彩対比を活かした賦彩などから高い画力が見て取れます。また後屏の山水画には、樹々の茂る峻峰と山中の建物、門へ到る小径、小川などの景物を水墨によって表しており、宋からもたらされた水墨山水画の様式を取り入れた早期の遺例としても注目されます。
 鎌倉時代に信仰の高揚した行基の画像として歴史的価値が高く、しかも制作年と作者名がわかり、水墨山水画受容の早期の様相が窺える点でも絵画史上重要な位置を占める作品です。

絹本著色行基菩薩像

 
件名 絹本著色行基菩薩像
かな けんぽんちゃくしょくぎょうきぼさつぞう
数量 1幅
指定(分類) 奈良市指定文化財(絵画)
指定日 令和3年3月26日
所在地・所有者 奈良市五条町13-46 唐招提寺
小学校区 都跡
寄託 奈良国立博物館
形状等 掛幅装 縦144.2.cm 横60.5cm
色紙形墨書「遺戒諸弟子等不浄土者何有/稱思之處不聖衆者誰有随心/之人欲報白鵶之恩烏鵶可施食/施城中之最下之乞人過供養難/勝如来見美花不念本尊是不/修之甚聞冷風不観内身観行又/闕青々翠竹恙是真如欝々黄/花無飛般若蚊虻付鳥翼騰曻万丈/空蘿葛寄高木裶百丈之枝随世/似有望背俗如狂人穴憂世間隠/一身何處骸曝閻浮逢本神訴琰/(以下判読不能)」
旧裱背押紙墨書(上段)「行基菩薩四十二歳御時奉移御母儀於生馬山/草野仙坊所令致孝養報恩之儀給御影像也/畫師 備中法眼幸守/文永八年四月 日勸進 〈比丘心恵/比丘照遠〉」(下段)「生馬竹林寺常住物/延文二年〈丁/酉〉六月日 奉修補之 綱維蓮意」「康正三年〈丁/丑〉二月日重奉修補之年預晁渕」
旧巻止墨書「行基菩薩肖像 弘化二年修補 竹林寺寳物本山汁具」
旧巻止押紙墨書「六十八」
(/は改行、〈 〉は割書を表す)
備考 鎌倉時代