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富雄丸山古墳範囲確認発掘調査(第7次調査)の成果(第3報)(令和7年1月27日発表)
縄掛突起を有する割竹形木棺の構造が初めて具体的にあきらかに
1.調査の概要
調査地
奈良市丸山一丁目1079-239 富雄丸山古墳
調査期間
令和5年12月4日~令和6年7月9日
調査面積
50平方メートル
調査機関
奈良市教育委員会 教育部 文化財課 埋蔵文化財調査センター
富雄丸山古墳は4世紀後半に築造された直径109mの造(つくり)出(だ)し付円墳である。令和5年度から実施した第7次調査では、良好な保存状態で残る割(わり)竹形(たけがた)木棺(もっかん)の中から銅鏡や竪(たて)櫛(ぐし)が出土し、その成果は令和6年1月31日に第1報、同3月12日に第2報として発表したところである。以降も調査を継続し、次項に挙げる成果を得た。調査は同7月9日に終了し、現地は埋め戻している。現地公開は実施しない。
2.調査成果
木棺の規模と構造
埋まっていた木棺の下半分(身)の構造が明らかになった。身の残存長は5.54メートル、土に残っていた痕跡も合わせて判明した本来の長さは5.86メートル(縄掛突起含む/縄掛突起を除くと5.54メートル)、北西側(被葬者の頭側)の幅0.69メートル、南東側(同足側)の幅0.62メートル、最大高0.26メートルである。全体の7割ほどが残っており、土中で消失することの多い木棺としては極めて良好な保存状態である。身は断面外形が半円形だが、断面内形は逆台形となり、底面を平たくする意図をもって刳り抜かれている。足側小口には縄掛突起が2本残存していた。南東側の縄掛突起はほぼ原形を留めており長さは16センチメートルである。頭側の縄掛突起は腐食により消失していたが、本来は足側と同様に2本ついていたことが土の痕跡から確認できる。
木棺は墓壙(ぼこう)の中央に掘られた長さ6.0メートル、幅1.0メートル、深さ0.35メートルの断面逆台形の溝に、棺床粘土を厚さ10センチメートル程度敷いて置かれていた。棺床粘土は足側で薄く、頭側で厚くなっており、木棺の頭側を意図的に高くしようとしたことが分かる。
木棺の保存状態がこれほどよい事例は少なく、木棺の構造やその置き方などを具体的に知ることのできる第一級の資料と言える。
木棺取り上げの経緯
木棺の高い学術的意義を踏まえ、その取上げには慎重を期す必要があった。特に、腐食による脆弱箇所が多数存在することから取上げに伴う木棺の破損が危惧された。加えて、巨大かつ重量の重い木棺は人力による安全な取上げが困難であると判断し、取上げ方法について検討した結果、クレーンによる吊り上げとモノラックによる安定した搬出方法を策定した。モノラックは山間部の果樹園などで使用される設備であり、古墳の発掘調査で使用されることは稀である。
取り上げ準備から発掘区埋め戻しまでの経緯は下記の通りである。
- 6月5日
木棺取り上げに向けた事前工開始 - 6月11日
モノラック設置開始。 - 6月17日
木棺の養生開始(公益財団法人元興寺文化財研究所)。 - 6月19日
木棺をクレーンで吊り上げ、墓壙外へ移動。天地反転。 - 6月20日
木棺地面を清掃後、レーザ計測。 - 6月24日
木棺を再梱包、モノラックで公園まで移動後、トラックで搬出。埋め戻し開始。 - 7月1日
発掘区埋め戻し完了。 - 7月9日
現場撤収完了。
3.第7次調査成果の意義
縄掛突起を有する割竹形木棺の構造が初めて具体的に明らかになった
本調査では極めて保存状態の良い割竹形木棺を確認した。両端が貫通する筒形の形状で、岡林孝作氏による刳抜式B類に分類される[岡林孝作2018『古墳時代棺槨の構造と系譜』同成社]。身と蓋のそれぞれの端部に縄掛突起を計8本有するほか(現存するものはうち3本)、両小口に小口板2枚を立て、その内部空間を2枚の仕切板で3分割している。うち小口板1枚、仕切板1枚は立てられた状態を保っていた。棺内空間は副室1(長さ1.2メートル)・主室(長さ2.4メートル)・副室2(長さ1.3メートル)に分けられ、主室には竪櫛(9点)、副室2には銅鏡が3面副葬されていた。主室の北西端付近には水銀朱が集中し、被葬者の頭部があったと推定できる。縄掛突起を有する割竹形木棺には雨の宮1号墳(石川県中能登町)が知られていたが、木棺本体は腐食により消失しており、土に残された痕跡が確認できただけであった。木棺は腐食によってその具体的な構造が分からないことが多いなかで、本例は古墳時代の埋葬施設構造を論じるうえで極めて重要な資料となる。
縄掛突起の機能を推定する上で重要な調査所見を得た
従来、身と蓋の縄掛突起を縄で結んで棺の密閉性を高める使用法が想定されていたが、木棺を覆う被覆粘土や小口板の裏に置かれた小口粘土の構築過程を検討した結果、木棺の蓋を設置する際には身の縄掛突起が小口粘土に覆われていることが明らかになった。すなわち、蓋と身の縄掛突起を縄で結ぶことは不可能であり、縄掛突起の機能に再検討の余地があることを示した。
埋葬時の配置を留める副葬品を確認した
富雄丸山古墳造出し埋葬施設は、後世の盗掘を被っていないことが確実である。したがって、内部の副葬品は1600年以上前に副葬された配置を留めていることになり、副葬品の機能や意味付け、古墳時代の葬送儀礼を論じる上で重要な成果となる。
4.出土遺物の取り扱いについて
木棺の保存処理について
木棺は乾燥を防ぐために温湿度を管理した室内で一時保管している。将来的な展示・公開に向けた恒久的な保存処理を予定している。
棺内副葬品について
棺内に副葬されていた銅鏡および竪櫛は、奈良県立橿原考古学研究所と奈良市教育委員会が締結した「富雄丸山古墳の令和5年度発掘調査に係る共同調査研究に関する協定書」に基づき、保存のための応急処理を奈良県立橿原考古学研究所に依頼している。銅鏡はいずれも鏡面を上に向けて置かれていたため、鏡面側を先行して処理し、終了次第反転して鏡背面を処理する計画である。したがって、現時点で鏡背面の文様を確定できておらず、鏡式(鏡の種類)の発表は保存処理終了後を予定している。
▲図1 粘土槨の構造模式図
▲図2 割竹形木棺模式図
▲図3 木棺(身)の各部寸法
▲図4 取上げ直前の木棺(身)
▲図5 木棺(身)の縄掛突起
▲図6 木棺取上げ風景1
▲図7 木棺取上げ風景2
▲図8 天地反転後の木棺(身)
▲図9 モノラックによる木棺(身)搬出風景
関連リンク
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