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奈良市では、令和元年7月23日(火曜日)から10月6日(日曜日)まで、史料保存館で企画展示「史料が語る戦時下の奈良町」を行います。
奈良には、世界遺産「古都奈良の文化財」に代表される、古代史を彩る多くの文化財があることはよく知られています。
それに対して奈良の近代や現代の歴史、特に戦争に関することはあまり知られていません。しかし、奈良でも多くの人々が出征し、町で暮らす人々も防空壕を作ったり、勤労奉仕に励むなど、生活のすべてを戦争に向けざるを得なかった厳しい時代がありました。
戦後70年余りが過ぎ、戦争を経験した人や、記憶する人は少なくなりつつあります。人々が歩んだ戦時下の歴史を、風化させずに次世代へ伝えるために、戦時下の奈良町について、今まで取り上げられることが少なかった当時の町の記録や、関係史料などを通して紹介します。
史料保存館 展示室(奈良市脇戸町1-1)
令和元年7月23日(火曜日)~10月6日(日曜日)
午前9時~午後5時(入館は午後4時半まで)
月曜日・祝日の翌平日(祝日は開館)
※8月13日(火曜日)・9月17日(火曜日)・24日(火曜日)休館
無料
史料保存館で、館員による展示解説を2回行います。約30分の予定。申し込みは不要です。
日中戦争が行われていた昭和10年代、戦時下の町の様子や暮らしについて、所蔵史料や写真などで紹介します。
戦況を報じる新聞や町記録、国威発揚のため国を挙げて行われた紀元二千六百年事業への取り組み、防空演習、建物疎開の史料、防空壕を町民総出で築造する風景の写真や、市内の空襲の記録、出征兵士の軍隊手帳や軍事郵便などです。
このうち、例えば昭和19年に市内に空襲があったことが、当時の町記録に記されていて、戦争被害が少なかったように思われがちな奈良でも、やはり空襲による死傷者が出ていたことがわかります。
また、規模は大きくありませんが、奈良でも空襲に備えた建物疎開が行われたことも従来あまり知られていません。
このほか、奈良の文化財にとって大きな出来事だった仏像などの疎開についても、疎開先から戻る仏像の様子を写した入江泰吉の写真(入江泰吉記念奈良市写真美術館所蔵)を展示します。
「史料が語る戦時下の奈良町」展開催に合わせ、展示開催を多くの人に知ってもらうために、奈良町にぎわいの家において、展示に関連した史料の一部を出張展示し、あわせて史料保存館員による史料解説を行います。
8月25日(日曜日)午後2時~4時
(館員による展示解説は午後2時から30分程度)
奈良市中新屋町5 奈良町にぎわいの家
無料
不要
市ホームページ・twitter・関西文化.com・しみんだより7月号・チラシ配布・報道機関及び歴史街道推進協議会への情報提供、周辺施設への広報
井上町の町記録です。
昭和12年(1937)9月27日の記録には、戦勝祝賀行列を予定していたが、多くの戦死者があったため、一時中止したことが記されています。
昭和15年(1940)は、神武天皇即位の年からちょうど二千六百年目にあたるというので、これを奉祝し記念事業が行われました。
奈良県では、橿原神宮境域の拡張と外苑の建設を勤労奉仕によって行うことが計画され、建国奉仕隊の名でのべ121万2756人、参加団体は7万840団体に及ぶ人々が奉仕作業に動員されました。
この旗は、建国奉仕隊活動をしたときに掲げられたものです。
町民総出で防空壕を築造している様子がわかる写真です。
戦時中、鳴川町では、現在音声館がある場所に、防空壕を設置していたようです。
【リリース資料】史料保存館 企画展示 史料が語る戦時下の奈良町[PDFファイル/237KB]
史料保存館
電話:0742-27-0169