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奈良市史料保存館では、保管する史料を活用した企画展示を実施しています。
今回は「明治150年」の今年、奈良を代表する伝統産業、伝統工芸品である「奈良墨」のあまり知られていない明治以降の歩みを紹介する展示を企画しましたので、ご案内いたします。
奈良の墨作りは、室町時代に興福寺で作られたことに始まるといわれ、今日でも奈良の伝統産業、工芸品として知られています。
特に江戸時代には毎年幕府へも献上され、奈良は全国に知られた有数の墨の生産地でした。
明治維新の後、日本が近代国家へと脱皮を図るなかで、全国にある多くの伝統産業も近代化を目指します。
そうした時代の進展のなかで中世以来の伝統を誇る奈良の製墨業も、製品向上や販売先の開拓などに努め、新たな時代に適応した産業の姿を模索します。
今回の展示では、奈良市内の老舗製墨店を営んでいた旧家に伝えられた古文書などによって、近代における奈良の製墨の動向の一端を紹介します。
奈良の墨作りは、近世に産業として発達しました。
今回の展示では、まず江戸時代の製墨業者の動向を伺う史料として、「墨職組合控」(天保4年、1833)や「墨職規定書之事」(嘉永6年、1853)を展示します。
長い歴史を誇る奈良の墨作りですが、近世以前のまとまった史料は、これまでほとんど確認されていないのが現状で、これらは江戸後期の製墨業の動向を示す貴重な史料です。
明治維新の後、製墨業も新たな時代に適応した生き残りを模索します。
展示ではその頃を象徴する史料として、「内国勧業博覧会賞状」(明治10年、1877)、「日英博覧会賞状」(明治43年、1910)を展示して、国内外で奈良墨の周知や販路拡大に努めたことを紹介します。
近代の奈良の製墨業の大きな出来事は、大正9年(1920)に、老舗製墨店7社により大日本製墨株式会社が設立されたことです。
それまで老舗業者が個々に営んできた墨作りを互いが協力することで、地域産業としての生き残りと発展を図ろうとしました。
この会社について、今回はじめて関係史料を展示します。
大日本製墨株式会社の設立趣意書や株式募集の依頼状、会社の経営内容の一端が知れる株主総会議事録や業務報告書類、会社見取り図などにより、その概要を紹介します。
にぎわいの家出張展示「タイムトラベル奈良町~奈良の墨~」
「奈良の墨-伝統産業の近代-」展開催に合わせ、奈良町にぎわいの家において、展示に関連した史料の一部を出張展示し、あわせて史料保存館員による史料解説を行います。
しみんだより(10月号)、市ホームページ、チラシ配布、twitter、関西文化.com、歴史街道推進協議会への情報提供、周辺施設への広報
墨屋仲間の規定について書かれている史料です。
墨職組合は、天保4年(1833)に再発足しています。
その「組合約定書」には、製墨を営む者は必ず組合に加入する旨を規定し、分家や職人の働き方や新加入などについても細かな約束事が定められています。
幕末頃の製墨業界の状況を知ることもできる貴重な史料です。
奈良の名所・商家・職人・学校などをイラストで紹介しており、明治前期の奈良町の様子を絵で見ることの出来る史料です。
製墨業は17軒、墨型製造業は3軒、製筆業は2軒掲載されています。
明治政府は殖産興業の一環として、海外の万国博覧会に参加し、国内では各地で博覧会・共進会を開催しました。
製墨業者は墨の周知や販路拡大に努め、国内の博覧会はもちろん、海外の万国博覧会にも参加しました。
写真は、明治43年(1910)に、英国で開かれた日英博覧会に墨を出品した際の賞状です。
ほかに明治10年(1877)の、第1回内国勧業博覧会賞状や明治26年(1893)の、シカゴ博覧会の賞状も同時に展示します。
写真右:大正9年(1920)に、大日本製墨株式会社が設立されました。
その時の設立趣意書と目論見書、定款です。
写真左:大日本製墨株式会社の社名染抜き風呂敷です。
大正9年(1920)に、大日本製墨株式会社が設立された際の株式募集の依頼状で、設立発起人の松春園、玉翠堂、玄林堂など有力製墨家7名および松煙商ほかの名前があります。
昭和10年(1935)頃の、古梅園での墨の型入れ作業の様子や、油煙採取場の様子が描かれています。
【リリース資料】資料保存館企画展示 奈良の墨-伝統産業の近代-[PDFファイル/684KB]
教育総務部 文化財課 史料保存館
電話番号:0742-27-0169