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奈良市教育委員会が実施した平城京跡の発掘調査において、奴婢(ぬひ)の売買について記された木簡が出土しました。奴婢の売買について記された木簡の出土は初めてで、とても重要な発見です。
奴婢は古代の身分制度のもとで、所有者に支配され、売買・譲渡の対象とされる存在でした。当時の法令では、奴婢を売買する場合、土地の売買と同じように、証文を作成することが定められていました(養老令-関市令一六条)。
木簡は、平城京左京八条三坊七坪の北東側にあった井戸跡から出土しました。この場所は、平城京の東市と推定される区域のすぐ北隣にあたります。
木簡が見つかった井戸は8世紀後半頃に掘削、使用、廃棄されたものと考えられます。井戸の規模は、東西約2.5m、南北約1.9m、深さ約2.7mあります。
内部には、長さ約1.9mの四角い井戸枠を収め、その中央には、直径0.5m、さらに0.8mの深さに掘り窪めた素掘りの集水施設を設け、底にこぶし大の礫を敷き詰めたものです。
井戸枠は、板を方形に組み、内側から桟木で支える「縦板組横桟留(たていたぐみよこさんどめ)」と呼ばれる平城京でよく見られるものです。
木簡は、井戸の底に設けられた集水施設(しゅうすいしせつ)の直上から1点出土しました。井戸が使われなくなった直後に捨てた可能性があります。木簡の時期は井戸の時期から8世紀後半と考えられます。
木簡が見つかった井戸から出土した遺物には、土師器・須恵器等の土器類、ガラス玉6点、全長30.5cmの大型刀子1点、銭貨3枚(和同開珎(わどうかいちん)(初鋳(しょちゅう)708年)1枚・神功開寶(じんぐうかいほう)(初鋳765年)2枚)があります。
木簡は、残存長62.4cm、幅3.7cm、厚さ0.9cmあります。下端が折れて失われていますが、全長は二尺半(約75cm)~三尺(約90cm)に及ぶ可能性があります。これは一般的な木簡と比べ、非常に大型です。
上端は、のこぎりで切断、両端は割って製作されています。木簡を再利用する場合、文字部分を刀子等で削るため、削り度合によって凹凸が生じる場合があります。しかし、今回の木簡は厚さがほぼ一定で、表面が平滑なことから、文字が書かれてから再利用されずに廃棄された可能性が考えられます。
木簡の両面には、73文字以上が書かれており、表面と裏面で筆致が異なります。
奴婢を売買する場合に作成する証文(しょうもん)(券文(けんもん))は、正倉院文書では、証文の作成を売主がおこなう例が多くみられます。今回の木簡も売主から申請されたことがわかります。
木簡の下端には、文書の結びの言葉や日付、売主の名前などが書かれていた可能性があります。ただし、失われているため詳しい内容は分かりません。
自筆で申告した文書のことを指す「手実(しゅじつ)」の文字を読み取ることができるため、役所へ提出された申請書類と考えています。
裏面の内容は読み取れる文字から売買の不成立を記している可能性があります。そのため、役所から返却された申請書である木簡は廃棄された可能性があります。
木簡に記された「婢」は、個人が所有する「私(奴)婢」であった可能性があり、私奴婢の売買を記す史料は、公奴婢や寺院が所有した奴婢について記したものに比べて少なく、今回の木簡は貴重な事例となります。
奴婢の売買は、契約が成立した時点で代金を払う必要がありましたが、購入した奴婢の逃亡や、期待された働きをしなかった場合の扱いが問題となり、代金を分割して支払う事例もあったとされます。今回の木簡は代金の半額だけを先に支払った実例として評価できます。
木簡には、買主が平城京右京三条二坊に居住していたと記されています。一方、売主は木簡が出土した平城京左京八条三坊付近に居住していた可能性があります。
平城京右京三条二坊は、現在の近鉄大和西大寺の車庫付近にあたります。ここに住んでいた人物として挙げられるのが小治田安萬侶で、奈良市都祁甲岡町にある安萬侶の墓から出土した墓誌には729年に没し、亡くなった時に従四位下に叙せられたことが記されていました。買主が住んでいた時期は安萬侶が住んでいた時期と比べて50年程後ですが、安萬侶が1町規模の邸宅に住んでいたことや、平城宮に近い立地からは貴族の邸宅が多かった場所と推測されます。
一方、今回の木簡が見つかった平城京左京八条三坊七坪の周辺では、1/4町以下の規模の宅地が見つかり、小規模な建物や井戸を検出しています。木簡が出土した井戸からは公的な施設の存在を窺うことができる灯明皿や刀子が出土しています。
今回出土した木簡には奴婢の売買について記されており、国内で初めて確認されました。平城京で行われた奴婢の売買を裏付ける資料として注目されます。この木簡は、奴婢の売買契約を記した証文ではなく、役所に証文を申請するための書類と考えられます。また、27歳の女性を8貫文で売ったことや、代金の一部を受け取ったことが記されており、奈良時代後半の奴婢の価格や、支払い方法、取引上の問題や条件が記されている可能性があるという点で重要な資料です。
今後、木簡の文字の解読や関連する文献史料・検出した遺構の性格の検討を進めることで、平城京における奴婢の売買の実態が明らかになることが期待されます。