本文
本市では2年に1度、写真文化の発信と新たな写真家の発掘を目的とする『入江泰𠮷記念写真賞』、「ならを視る」をテーマに奈良の新たな魅力の発見につなげることをめざした『ならPHOTO CONTEST』を開催しています。
今回は令和5年5月1日から6月30日に作品を募集し、入江泰𠮷記念写真賞61作品、なら PHOTO CONTEST 548作品の応募から受賞作品を決定しました。
眞岡 綺音「陸の珊瑚」(48枚組)
なら賞 二川 和歩「佇む」(単写真)
日本経済新聞社賞 若井 芳昭 「ならが視る」(単写真)
自らの意識を超え「伝える」こと、歴史、文化、地域性へのこだわりが21世紀の重要なキーワードと考え、私たちの心に深く記憶される普遍的な生の眼差しを持った写真の作り手を支援していくため、未来そして世界に向けてのメッセージとして、第二回から「写真集」を製作しています。
前回に比べ応募作品数は減少したものの、回を重ねる毎に応募作品のレベルは上がり、テーマやメッセージ性を持った作品が多数応募された。(前回103作品→今回61作品)
この度は名誉ある入江泰吉記念写真賞を頂き、誠に光栄に思います。
本作品は変化する普遍をテーマに自身の母の実家である牧場を舞台とした作品になります。現代社会において家族とはコミュニティの最少単位とされており殆どの人間がこれに所属し日常を送っていると考えています。世界において血族とは普遍的な物と解釈されていますが、この普遍の中に日々見落としている小さな変化を感じ今作の制作に至りました。
世界ではテクノロジーの進歩やシステムを用いた効率化など目まぐるしい変化が世界で起き、人類は日々躍進しています。この重要性も踏まえつつ、私の写真を見て身近にある小さな変化を認識再認識して頂けると大変嬉しく思います。
最後になりましたが陸の珊瑚の制作にあたりご協力くださった全ての人にこの場を借りて厚く御礼申し上げます。
「陸の珊瑚」
幼少時代私は母の実家で過ごした記憶がある。
祖父母は私を愛で普段ではない非日常の生活が其処にはあった。
やがて月日がすぎると自身の立ち位置が代わり
かつての私のポジションにすげ替わる存在がいた。
この事に気がつき今作の制作に至った。
制作を始め時間を重ねるごとに人が持つ立ち位置がシフトしていく事に気がついた。
子供は青年になり、叔母、叔父は誰かの祖父母になる、
やがて天寿を全すれば其処に新しい人間が座る。
自身のケースでは祖父母が牧場を経営しており
その場所を中心にこの時間の流れが1つの舞台の様に進んで行った。
この事から家系とは時間の概念を強くもつ一つのコロニーであるという結論を得た。
時間と共に変化しいずれ形を変える生活共同体、
自身も含め多くの人はこの約束されない普遍と時間と舞台の中にいる。
2020年6月からの新型コロナウイルス感染拡大の為第四回入江泰吉記念写真賞から3年を経て第5回が開催に至りました。
待って頂いていたのか、とても充実した内容の作品を多く応募いただきました。写真集を製作することを理解されたテーマが確立した作品群から最終審査に五作品が残り時間をかけて今このときに写真集にする意義を再確認しました。二作品が最後まで審議になりました。
眞岡さんに決定しました。家族が営む牧場(乳牛)の日常を丹念に生き生記録していてそこには生と死がおりなす。中心的存在だった祖父の死を経て家族関係の再生、乳牛を育てる労働を明るく柔軟な眼差しで体当たりで表現している。23歳の女性が4、5年かけた奮闘記です。この時代に贈る写真集になります。
身の回りにあるものを撮ることは、写真を撮る者にとってすごく自然なことなのだろう。身近なものは撮る者にとってよく分かっているものであり、両者の間には目に言えない壁は存在しないからかもしれない。しかし問題はそれによって何を見せたいかであり、何が見えてくるかであろう。眞岡綺音の「陸の珊瑚」は母の実家、牧場を営む祖父母の一家を撮ったものである。作家はコミュニティの移り変わりをテーマにしたようであるが、その写真から伝わってくるのは、時にはグロテスクなまでの生々しい生命感である。衰退していく祖父、それとは対照的に活力に満ちた子供、足を怪我した仔牛、牛の性器。どれも日常を切断することで、日頃は隠されている生命が思わず顔をのぞかせてしまった瞬間であろう。それゆえ人や牛や虫はもちろん、牛舎や緑の森といった空間でさえ生命を感じさせてくる。写真集になった時、それは生命のカオスとなって私たちに迫ってくるのを期待したい。
「かつての私」を、いま他者を撮った写真のなかに見出すことによって、眞岡綺音の作品は動き始めた。目のまえに充溢する生命体に呼応しシャッターを切る―—自らもその一部となり巻き込まれるかのようなかつての在り方が、見ることのなかに静かに錘を垂らす力へと変化したのではないか。
葉脈の昏さ、鍋底の見えない液体、真新しい墓の覆いを取ろうとする子どもたち。日々を営む生に見つめ返されながら、写真家は過去の時間を照射され、死を孕む未来を映し出そうとする。その舞台が家族だった。
居間や病室で家族が集うとき、そのシーンの具体性以上に、ひとりひとりの立ち位置や眼差しが濃く残る。家系として結ばれながら混じらない個体。流れる時間のなかでの役割の変容を空間の奥行きが指し示す。珊瑚のコロニー(群体)になぞらえられた本作は、時間という未知へ写真を通して踏み出そうとする眞岡のたしかな始発点となろう。
畜産農家の家族の日常を見つめながら生命輝く瞬間を紡ぎ、生命感あふれる物語に仕上げました。写真に勢いがあり、みずみずしさを感じます。祖父の死も扱っていますが、その死は次の「生」につながるという意味で、肯定的な印象を残しています。全体に健康的なイメージの一方で、時折ちらりと垣間見える艶っぽさや暗さも、ストーリーに厚みを加え魅力を増しています。
今回の審査には、コロナ禍を経て深く内面と向き合う作品が多く寄せられ、無常観すら感じさせるものもありました。もちろんそれらを否定するわけではありませんが、そのなかにあって眞岡さんの作品はあくまで前向きで存在感が際立っていました。人の営みのたくましさ、生きることの素晴らしさを改めて感じさせ、コロナ禍で人と人とのつながりが見直された今こそ、本賞にふさわしい作品といえます。まだ20代とのこと。その若い感性を生かした今後の創作活動に期待しています。
数年前に写真を拝見させていただいたことがありました。家族のドキュメントからはじまったであろう作品は、作家自らの体験を通じ「生命」が骨格となり「生きていること」そして「生かされていること」が肉付けされた。現代社会では見えにくい、命あるものの普遍性を丁寧に記録された作品となりました。家族の集まるシーンでは、立ち位置や視線の微妙な違いが、家族としてのつながりと個人としての独立性を描き出しています。その舞台は祖父母の牧場であり、写真はコミュニティの変遷と生命の奥深さを同時に捉えています。写真集としてまとめられた際に、生命のダイナミズムが読者に響く写真集になることを期待しています。
奈良の自然、名所、伝統行事、鹿、野生動物、奈良を訪れた方々など、四季折々の奈良の魅力をおさめた作品548作品が応募された。
二川さんは愛媛県の方なので奈良旅行での撮影かと想像します。東大寺南大門高さ25メートル国内最大規模の巨大な山門にある金剛力士像の前で、二人の女性がそのスケールに感動して見上げるとてもチャーミングな後ろ姿と力士像の迫力が、モノクロムで表現されていて「なら賞」にふさわしい作品でした。
金剛力士像とその前の女性二人の対比がとても新鮮で、モノクロがそれをさらに際立たせ、満場一致で「なら賞」に選びました。
体の一部だけで、その迫力を感じさせる仁王像の不気味さと、その前でも旅気分を楽しむ女性との対比が面白く、昔と今が共存する奈良を象徴しているように思われました。誰でも知る名所ですが、撮影者の意図や工夫が感じられる作品です。視点を変えれば、まだまだ奈良は新しい発見に出会えそうです。
まるで切り株から生まれた森の妖精、という雰囲気で春日大社の鹿を捉えました。一瞬の静寂と木々の匂いを感じます。ローアングルで撮影したため切り株に脚や体が隠れ、ポエティックな仕上がりとなりました。奈良公園の鹿をモチーフにした写真は数多くの応募がありましたが、神の使いという古来のイメージを想起させる今作品はユニークで目を引きました。
本賞に名を冠する写真家・入江泰𠮷が1冊の写真集出版を機に一躍有名となったことにちなみ、写真集を限定部数製作します。受賞者にとってこれが写真家としてさらなる飛躍のきっかけとなることを期待し、皆さまからご支援をいただきたくサポーターを募集しています。
名前、住所、連絡先(電話番号、メールアドレス)、年齢、性別、サポーター区分を明記いただき、Eメール、郵送、FAXいずれかにて下記へお送りください。
入江泰𠮷記念奈良市写真美術館 宛
メールアドレス:naracmp@kcn.ne.jp 住所:〒630-8301 奈良市高畑町600-1
奈良市 市民部 文化振興課
TEL:0742-34-4942