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富雄丸山古墳発掘調査(第7次調査)について(令和6年3月13日発表)

更新日:2024年3月13日更新 印刷ページ表示

割竹型木棺の内部を確認。鏡と櫛が出土。

1.調査の概要

調査地

奈良市丸山一丁目1079-239 富雄丸山古墳(富雄丸山古墳)

調査期間

令和5年12月4日~令和6年3月31日(予定)

調査面積

50平方メートル

調査機関

奈良市教育委員会 教育部 文化財課 埋蔵文化財調査センター

富雄丸山古墳は4世紀後半に築造された直径109メートルの造(つくり)出(だ)し付円墳である。令和4年度の年度の第6次調査で造出し上段から未盗掘の粘土槨(ねんどかく)を確認し、南西側の被覆粘土中から古代東アジア最大の鉄剣である長さ237センチメートルの蛇行剣(だこうけん)と類例のない鼉龍文(だりゅうもん)盾形銅鏡が出土した。本年度の第7次調査では、北東側被覆粘土の構造を明らかにするところから調査を開始し、良好に残る割竹形木棺の存在を2月6日に報道発表した。その後、木棺内部の調査を進めて事項に挙げる成果を得た。

2.調査成果

木棺の規模と構造

木棺の全長は約5.6メートルで、すでに見つかっていた南東側の小口板1枚・仕切板1枚に加え、腐食が進みながらも原位置に残存する仕切板1枚・小口板1枚を確認した。木棺は、両端を小口板で密封し、その内部空間を2枚の仕切板で3分割していたことが明らかになった。中央の主室は長さ2.4メートル、北西側の副室1と南東側の副室2はいずれも長さ1.3メートルである。古墳時代の長大な木棺内部において想定されてきた典型的な空間利用を実物の棺で確認できた。棺に使用されている樹種は、棺蓋・棺身・小口板がコウヤマキであるのに対して、仕切板2枚だけがスギであり使い分けが行われている。

水銀朱の散布を確認

​主室の底面全体に水銀朱が広がるが、被葬者の頭位と想定される範囲には特に多くの水銀朱が認められ真赤に染まる。

竪櫛が出土

主室の南東端から漆塗の竪櫛が9点出土した。欠損部分も少なくないが、2点は竪櫛の全形をよくとどめている。全長14センチメートル・棟幅2センチメートルの小型品である。竪櫛は髪に付ける装飾具としての機能に加え、葬送儀礼における重要な機能があったと考えられている。

青銅鏡3面が出土

副室2の南西端には、青銅鏡3面が重ねて置かれていた。上から順に1号鏡(直径21.5センチメートル)、2号鏡(直径19.0センチメートル)、3号鏡(直径19.8センチメートル)が確認できる。いずれも鏡面を上に向けており、鏡背面の文様が見えないため現時点では鏡式不明である。3面ともわずかにひび割れているが、緑青の銹は極めて少なく、保存状態は良好である。

発掘調査現場の一般公開について

下記の日程で発掘調査現場を一般公開いたします。
現地には駐車場がありませんので、公共交通機関あるいは徒歩・自転車・バイク等でお越しくださいますようご案内ください。

日時

令和6年3月16日(土曜日) 12時30分~15時00分
3月17日(日曜日)10時00分~15時00分
(両日ともに小雨決行いたします)

場所

古墳西側のグラウンド(受付)~富雄丸山古墳発掘調査現場

連絡先

奈良市埋蔵文化財調査センター 鐘方正樹
電話:33-1821(センター)、080-7997-5753(両日9時から15時まで)

参考資料

竪櫛の各部名称・上ノ原9号横穴墓出土の頭蓋骨と竪櫛

 

割竹形木棺の構造と副葬品の出土位置

▲割竹形木棺の構造と副葬品の出土位置

割竹形木棺全景

▲割竹形木棺全景

鏡出土状態

▲鏡出土状態

竪櫛出土状態

▲竪櫛出土状態

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