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富雄丸山古墳から出土した木棺を公開(第7次発掘調査成果)(令和6年1月31日発表)
1.調査の概要
調査地
奈良市丸山一丁目1079-239 富雄丸山古墳(富雄丸山古墳)
調査期間
令和5年12月4日~令和6年3月31日(予定)
調査面積
50平方メートル
調査期間
奈良市教育委員会 教育部 文化財課 埋蔵文化財調査センター
富雄丸山古墳は4世紀後半に築造された直径109メートルの造(つくり)出(だ)し付円墳である。令和4年度の年度の第6次調査で造出し上段から未盗掘の粘土槨(ねんどかく)を確認し、南西側の被覆粘土中から古代東アジア最大の鉄剣である長さ237センチメートルの蛇行剣(だこうけん)と類例のない鼉龍文(だりゅうもん)盾形銅鏡が出土した。本年度の第7次調査では、北東側被覆粘土の構造を明らかにするところから調査を開始し、次項に挙げる成果を得た。
2.調査成果
粘土槨の構築方法を確認
木棺蓋を覆うように積み上げられた被覆粘土の細部形状を検出できたことにより、粘土槨の構築方法が復元できた。30~40センチメートル大の粘土ブロックを2~3段、粘土槨の両端から中央へ向けて順に積み上げ、上部に厚さ2~4センチメートル程度の薄い粘土を被せたのち、棒状工具で上から押圧して仕上げている。北西端には後から粘土ブロックを積み足した部分があることを確認した。従来の調査では未確認だった粘土槨の具体的な構築方法が初めて明らかになった。
木棺の保存状態と構造を確認
被覆粘土を除去し木棺蓋を検出したほか、木棺内埋土の一部を掘り下げたことで、木棺の保存状態が極めて良好であることを確認した。木棺はコウヤマキを刳り抜いた(くりぬいた)割竹形木棺(わりたけがたもっかん)で、被葬者や副葬品を収める身とその上に被せる蓋に分かれる。長さ5.3メートル以上、幅64センチメートル(南東端)~70センチメートル(北西端)(いずれも内法の幅)で、最大厚は約5センチメートルである。蓋の小口には、長さ約11センチメートル・幅約4センチメートル・厚さ約3センチメートルの縄(なわ)掛(がけ)突起(とっき)が口縁端部から約8センチメートル上に片側だけ残存する。縄掛突起がある割竹形木棺は、実物資料としては初めての確認例である。身は南東端に対して北西端が20センチメートルほど高くなるように傾斜して置かれる。身の深さは約20センチメートルで、内法の断面形はゆるやかな逆台形をなす。南東端では円形の小口板(こぐちいた)(直径約52センチメートル)1枚、そこから北西へ125センチメートルの位置に仕切板(しきりいた)(直径約41センチメートル)1枚が垂直に立った状態で残る。これによって、両小口の内側に小口板を挟み込み、棺内を仕切板で区画する構造であることが判明した。木棺は土中で腐食して消失することが一般的で、本例のように詳細な構造を留める例は希少である。棺内の一部に金属探知機による反応がある。
今後の予定
2月7日から木棺蓋の取上げ作業を行い、同月中旬より木棺内の本格的な調査を開始する予定です。
▲図1 第7次発掘区の位置
奈良市教育委員会2023『富雄丸山古墳の発掘調査ー第6次調査ー』(現地説明会資料)に加筆
▲図2 第7次調査発掘区の状況(1月23日撮影)
▲図3 木棺と被覆粘土の断面構造
▲図4 被覆粘土の構築状況
▲図5 富雄古墳造出し粘土槨の割竹形木棺想定模式図と各部名称
岡林孝作2018『古墳時代棺槨の構造と慶系譜』同成社59頁掲載図に加筆修正
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