本文
日本で最も歴史のある英字新聞「The Japan Times」が毎年選出する、「日本各地に点在する訪れるべき10店」に、奈良市の日本料理店「白(つくも)」が奈良県内で初めて選出されました。
The Japan Times は1897年(明治30年)に創刊された、日本で最も歴史のある英字新聞です。株式会社ジャパンタイムズ(本社:東京都千代田区)は第3回 The Japan Times Destination Restaurants の受賞レストラン10店を発表しました。
地方には地域のショーケースとして存在しているファインダイニングがたくさんあり、それらレストランのシェフが作る料理には、郷土料理という歴史的背景があります。地方で自然と対峙し、先人から受け継いできたものを大切にしながら、同時に新しいものへの柔軟な感性から生み出されている素晴らしい料理、そしてシェフにフォーカスし、その料理、想い、活動を国内外に発信する取り組みです。
料理長の西原理人さんが、仲川げん奈良市長を訪問し選出の報告を行いました。
奈良市の日本料理店 白(つくも)料理長 西原理人(にしはら まさと)さん
「京都吉兆嵐山本店」で修業後、ニューヨークやロンドンの日本料理店を経て、2015年に独立。奈良の文化、歴史を独自に解釈してつくる料理が注目される。
修行に入る前から「独立」という夢を持ってまして、日本料理の道に進むうえで、「京都吉兆で修行したい」という強い思いがあり10年間お世話になりました。その後には軽井沢の蕎麦懐石店で2年間料理長をさせて頂き、ニューヨークとロンドンで料理をする機会も得ました。どの環境に身を置いても最大限の努力をする。という姿勢は変わりませんでした。
海外でしか得れない経験が出来た事によって、広い視野で物事が見えるようになり、独立する場所も世界のどこか、それとも日本国内か、という大きな選択肢の中で考える事が出来ました。
しかし僕が目指す料理は構築された高みにあるものではなくて、日本を深く掘り下げた中から自身で創り出したいという料理なんです。自分自身の感性を料理で表現できたら素晴らしいだろうなぁと。そう感じると最終的には、海外での独立ではなく日本でしたいという決断に至ったんです。
海外から日本を俯瞰で見た時に、かつて都が置かれていた京都という土地は魅力的でした。更に歴史を遡ると奈良が日本の中心であって、始まりの地でした。日本が誕生した奈良という地にすごく憧れを感じていましたので、ニューヨーク時代には奈良を題材にした料理をデモンストレーションさせていただいたこともあります。
海外にいながら奈良に憧れを持っていて、将来、日本に帰国した際には奈良で独立したいと決意を秘めていました。
奈良で独立をさせていただいて8年になるんですが、自身の理想を追い求める料理をしながらも、評価をいただけるという事は本当にありがたいです。
日本でしか表現出来ない料理をしている事が結果的に海外に向けて発信される。この度の受賞で改めて感じたことは、奈良の地でなければ得る事が出来なかった評価だと感じております。
生涯奈良で料理をし続けたいという思いで2年前にならまちに移転しました。そんな中、こういった機会をいただけたということは料理人冥利に尽きる思いです。
これからも奈良を離れて店を開くという事は考えておりません。
中学生の時に奈良には初めて来ました。次に来たのは京都での料理修行を経て、30歳手前ぐらいになる時でした。10代で見た奈良と、その20年後に見た奈良、同じ場所同じ景色を見た瞬間、まったく違った印象だったのが衝撃的でした、その時既に奈良に魅了されてたんだとおもいます。
奈良の雄大さや歴史の重厚感、僕の中では気配といいますか、歴史が積み重なったその空気感がこれまで歩んできた他の土地では感じることがなかったんです。
中学校で訪れたときは修学旅行だったのですがメインはやっぱり京都で、宿泊も京都なんです。その中の中一日、半日だけ奈良に行きました。前夜の枕投げに全体力を消耗し、次の日の奈良行きのバスでは乗った瞬間に全員爆睡で、「奈良ついたよ」って起こされて、こんな奈良って近いんだ、京都のどっかに奈良がある、それくらいのイメージでした。
市長を目の前にこんなひどい話をするのは大変失礼ですけど、もう奈良というところにはそんな感覚を持っていて、ただ、みんなで仲良く遊んだという、楽しい記憶だけでした。
ちょうど春日さんから東大寺に抜ける道、その道がすごく鮮明に記憶に残ってるんですけれども、若草山が広がる手前の階段を上がった瞬間、「この景色だ」と、15歳時の記憶がパーっと蘇りました。けれども年を重ねた自分自身が再び同じところを歩いても、感じる感覚はもう全然違う。同じ景色でもこんなにも違うふうに見える、これがまた表現しづらい不思議な感覚っていうのがありました。
僕が目指す料理の方向性は、まさに大和にあります。
時代が経っても褪せる事のない本質があるように思います。鄙びていく様は味になり更に凄みを生み出しているように感じます。華のある料理を心がけておりますが、そこにある本質というものは忘れてはいけないと常々思っております。
今も歴史が折り重なって続いているこの奈良で料理をさせていただけているという事はもう幸せの中にいるという感覚です。
料理はその時々の感性を大切にしています。「去年こうしたからじゃあ今年もしよう」っていうふうにはなってしまわないように心がけています。今月、7月の献立では(※選出報告時 7月28日)富雄丸山古墳から前代未聞の全長2メートルを超える剣“蛇行剣”が出土しました。このロマン溢れるニュースに心踊り早速料理にしております。
土に埋まっていたという事で、蓋のある椀物に。
旬を迎えた太刀魚(たちうお)を編み込んで蛇行させ、お椀の中いっぱいいっぱい蓋が閉まらないくらいの長さにして焼き蒸しに、太刀魚の下には富雄丸山古墳の円墳型の焚いた大根を敷いています。
情景とか、旬でおいしいもの、その時々の時事ニュース、文化、行事、そういったものを頭の中でミックスして考えてる時に、ふと一致す時があるんです。蛇行剣出土+太刀魚
ぱっとふたを開けてわかる人はわかるみたいな、そこに蛇行剣があって、下には富雄丸山古墳が隠れてる、そこまでを感じてくださる。こういった作り手が楽しんでしている料理を食べ手のお客さんが喜んで下さるというのは、気持ちが通じ合えたという思いがあって嬉しいんです。
そういった意味でも奈良というのは、僕の中で本当にアイデアの宝庫、掘っても掘っても、掘り足りないという、そういった印象です。
感覚的なものっていうのは、形や言葉にすることも難しいです。ただ、その感覚を持ってモノづくりをすると、それが何となしに伝えられているというような気がします。
感覚を養う為にもなるべくその場所場所に行くようにしてまして、今回は七夕の月ということで、七夕の伝承が色濃く残る天の川と書く天川村(天川弁財天)に足を運びました。
実際に情報で得るとかよりも感じたこととか、そういったものっていうのがすごく大切だろうなという思いで、現地に行くんですけれど、そんな中でやっぱり不思議な感覚は感じるんです。ただそれをどうやって料理にするかが・・・難しいですがやりがいです。
奈良で店を構えた開店当初は、コースの中で最低一品は何か奈良にちなんだ料理を、と自分に課している感があったんですが、最近はもう余りにも思いが加速し過ぎてて、全品してしまいそうな勢いがあります。奈良愛が強すぎて・・・説明時間もどんどん長くなってしまっています。出過ぎないように抑えております。
お客さんはパッとお料理を出しますと、目が点になる方がおられます(笑) これはなに…?でも何か伝えたいんだろうけど、何だろうっ?ていう風に興味を持ってくださる。そういう料理が点在しています。
ただ料理を召し上がっていただいてから、天川に行くとか、藤原宮旧跡に、正倉院展に、と、発想の題材になった場所に行くと言ってくださる方がおられるのが嬉しいんです。
料理から観光にっていう逆の事が本当に、ごく少数の方ですけども、そういう方がおられて、それがまた喜びにつながり次なる原動力になっています。