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奈良市更生支援フェア2020 山本譲司氏による基調講演

更新日:2020年3月25日更新 印刷ページ表示

奈良市更生支援フェア2020

3月7日に開催に予定しておりました「奈良市更生支援フェア2020」は、昨今の新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止を考慮し、やむなく中止となりました。当日の配布を予定していました山本譲司氏の基調講演を紙上にてご紹介いたします。

基調講演「社会的孤立の先が刑務所という現実 ~共生社会の実現を目指して~」
山本譲司 氏                          

山本氏の写真

ある出所者の今

「僕、あのお猿さんみたいだったよ」

動物園の猿類舎の前で、横にいる男性が屈託のない笑みを浮かべながら言いました。さらに人目もはばからずに、鉄格子の中にいるマントヒヒに向かって叫びます。

「こらー、騒ぐなー。チョーバツだぞー」

彼の右手は売店で購入したばかりの動物のオモチャを、そして左手は私の手をしっかりと握りしめている。

彼Aさんは、40歳代前半の知的障害者。義務教育の9年間は特別支援学級、そして高校は、特別支援学校の高等部に通いました。

Aさんは、つい先日、刑務所を出所したばかりの前科者です。服役出所を繰り返し、もう前科は6犯となりました。20歳以降、通算17年間は留置場や刑務所暮らし。今回の服役に至った罪は、窃盗罪です。さい銭箱の中から150円を盗んだのでした。服役中の彼は、刑務官の言うことがうまく理解できず、結果的に規則違反となり、懲罰を受けることも度々だったようです。

毎回出所後は実家に帰るのですが、父親は脳梗塞の後遺症で半身不随、母親は21年前に蒸発して行方不明、そして弟は統合失調症を発病しています。このような家庭環境では、早晩、刑務所に戻るようなことになってしまうのではないか。そんな危惧もあり、現在私は、福祉関係者らとともに、彼の生活支援を行なっているところです。

Aさんは14歳の時に、東京都から知的障害者の療育手帳「愛の手帳」を交付されており、障害程度区分4度の認定を受けています。東京都の場合、知的障害の判定には1度(最重度)から4度(軽度)までの段階がありますが、4度とは知能指数の数値でいうと、50から75の範囲。軽度の知的障害者と判定されています。知能指数50は精神年齢8歳程度、知能指数75は精神年齢12歳程度とされています。

驚くことに、我が国の刑務所には、こうした知的障害者の人たちが数多く服役していたのでした。

目の当たりにした 刑務所内の現実

国会議員時代に秘書給与流用という罪を犯した私は、2001年の6月、一審での実刑判決に従い、刑に服しました。栃木県にある黒羽刑務所に入所した私を待っていたのは、「寮内工場」というところでの懲役作業でした。
そこは、障害者や認知症高齢者など、一般工場での作業はとてもこなせない受刑者たちを収容する場所。私に与えられた役割は、そうしたハンディキャップのある受刑者に対する作業補助や生活介助だったのです。失禁者が後を絶たず、受刑者仲間の下の世話に追われるような毎日でした。コミュニケーションをとることが困難で、自分が今どこにいるのかさえ理解できていない人もいました。
「おいお前、人の言うことをきかないと、そのうち刑務所にぶち込まれるぞ」
そう受刑者仲間にからかわれた知的障害者が、真顔で答える。
「僕、刑務所なんて嫌だ。ずっとここにいさせてよ」
 悲しいかな、これが刑務所内の日常風景でした。

受刑者の4人に1人以上が知的障害者?

日本の刑務所の場合、受刑者となった者は、まず知能指数の検査を受けなくてはなりません。法務省の矯正統計年報(2019年7月31日公表)によれば、2018年の新受刑者総数1万8272名のうち、約2割が知的障害を表すIQ69以下の者ということになります。測定不能者も多数おり、これを加えると、全体の約27%の受刑者が、知的障害者として認定されるレベルの人たちなのです。

福祉的側面から見た統計数値 2003年と2018年の比較

新受刑者の知能指数新受刑者の知能指数2018
新受刑者の入所回数 2018新受刑者の入所回数2003

議員在職時、「セーフティーネットのさらなる構築によって、安心して暮らせる社会を」などと、偉そうに論じていた私。ところが我が国のセーフティーネットは、とても脆い網でした。生まれながらの障害があるにもかかわらず、毎日大勢の人が、福祉とつながることもなく、ネットからこぼれ落ちています。そして罪を犯すことによって、ようやく司法という網に引っかかり、獄中で保護されている。これが日本の福祉の現実でした。
今や刑務所の一部は、福祉の代替施設と化してしまっているのです。

累犯障害者とは

出所後の私は、議員時代の反省に立ち、福祉の現場に携わり続けています。福祉施設に支援スタッフとして通うなど、日々、障害のある人たちと向き合ってきました。服役経験者もたくさんいます。

 11年前に私が呼びかけて設立した「同歩会」という更生保護法人でも、毎年、大勢の知的障害者を受け入れています。

誤解のないように記しておきますが、知的障害のある人がその特質として罪を犯しやすいのかというと、決してそうではありません。規則や習慣に従順であり、他人との争いごとを好まないのが彼ら彼女らの特徴です。

ただし善悪の判断が定かでないため、無自覚のまま、法律に触れるような行動をとることがあります。知的障害者だからといって罪を免れるとは限らず、当然、法廷に立たされる人もいます。障害が軽度の人がほとんどで、外見上は健常者と変わらない人たちですが、司法の場では、やはりその障害ゆえに、きちんとした口述をすることができません。反省の意味も、なかなか理解できないところがあります。したがって、裁判での心証は至って悪く、その結果、何回も何回も服役を繰り返してしまう。いわゆる「累犯障害者」と言われる人たちです。

一般的に重罪を犯した者は1度の刑期が長く、一生のうち何度も懲役刑を受けることはありません。つまり、累犯障害者が入出所を繰り返すのは、大方が軽微な罪によって、ということになります。

そもそも健常者もそうですが、罪を犯した人の過去を調べると、貧困だとか悲惨な家庭環境、さらには社会的孤立といった様々な悪条件が重なることによって、不幸にして犯罪に結びついているケースが実に多いのです。

そうした事実を踏まえれば、現在の刑務所の状況は、障害者のほうが健常者よりも、より劣悪な生活環境に置かれる場合が多いという、日本社会の実態を投影しているようなものではないかと思います。障害のある受刑者の多くは、福祉や家族に見放され、ホームレスに近い生活を続けたあげく、無銭飲食や万引きといった罪で服役しています。

行き場のない累犯障害者・高齢者

我が国の刑務所は、高齢化率も、世界の国々のなかで突出して高い状態にあります。
日本社会全体に占める65歳以上の人たちの割合は、この20年の間に約2倍になりましたが、受刑者全体に占める割合では、約5倍に膨らみます。2018年の新受刑者中、65歳以上の高齢者に限っていうと、約73%が再入所者で、そのうち約3割が10回目以上の服役となります。知的障害者と同様、軽微な罪での入出所を繰り返し、結果的に、刑務所を終の住処にしてしまっているのではないでしょうか。

高齢受刑者の約56%は、窃盗罪による服役です。他に、無銭飲食や住居侵入罪も目立ちます。2015年の法務省調査によると、「65歳以上の受刑者のおよそ17%が認知症傾向」との報告があります。70歳以上では、4人に1人が認知症傾向です。実際、刑務所内には、犯罪を起こした原因として、認知症の影響が疑われる人も少なからずいます。

数多くの障害者や高齢者が収容されている我が国の刑務所。にもかかわらず、彼らの出所後の受け皿となる社会福祉施設は少数にとどまっています。

多くの福祉関係者は、罪に問われた障害者が近辺に現れたとしても、支援をすることに躊躇してしまうのです。

福祉事業者が、罪を犯した人との関わりを敬遠する理由は何か。それは、個々の障害者への支援費を決めるうえでの判定基準というものが、大きな影響を与えているのだと思います。

日本の福祉行政は、障害者への支援費を算定するにあたって、主にADL(日常生活動作)という尺度で判断します。行政が定めた基準だと、食事介助や入浴介助が必要な人ほど、多くの予算が割り当てられることになります。しかし私自身の経験から言わせてもらえば、寝たきりに近い人よりも、自由に動き回れる人たちのほうが、よほどケアや支援に困難が伴うものです。結局、福祉事業者にとっては、身体的な疾患のない軽度の障害者を受け入れても、ただ手がかかるだけで、あまり施設運営上のメリットはないわけです。出所後の障害者となると、なおさら厄介、という偏見もあるでしょう。

支援策も動き出したが

さい銭箱から150円を盗むのは、確かに犯罪行為です。とはいえ、軽微な罪を犯した障害者を、福祉ではなく、いちいち刑事司法のルートに乗せ、何度も服役させることが、税金の使われ方として正しいのだろうか。それが彼らの再犯防止につながるのだろうか……。

そうした思いから私は、2006年、厚生労働省や法務省に働きかけ、福祉関係者らとともに、「罪を犯した障がい者の地域生活支援に関する研究」という研究班を立ち上げました。その研究班の提言によって、2009年から、罪に問われた障害者への支援は大きく動き出すことになります。全国の刑務所に福祉専門官を配置し、また、各都道府県に、「地域生活定着支援センター」を設置するに至りました。このセンターが、矯正施設と福祉とをつなぐコーディネート機関としての役割を果たすのです。さらには、出所後の障害者を受け入れた福祉施設に対し、支給額を加算する制度も始まりました。

こうした仕組みができたことによって、確かに、ある程度は、障害者や高齢受刑者の受け入れは進みました。

たとえば2003年(拙著『獄窓記』を出版し、この問題を初めて世に発した年)は、年間2万8170名の出所者のうち、社会福祉施設に帰住した人は、たったの24名。それが2018年には、2万1060名の全出所者のなかで、455名が社会福祉施設へ帰住するまでになりました。
出所者 帰住地2003出所者 帰住地2018

しかし、まだまだ課題は山積です。いくら仕組みをつくったとしても、本質的なところで変わっていない面があると思います。それは、障害者福祉そのもののあり方であり、加えて言うならば、障害者の人たちに対する社会全体の見方です。

冒頭に紹介したAさんは、こう言います。

「今行ってる福祉作業所は、刑務所とあんまり変わんない。それに、外に出るとみんな変な目で僕を見るし、刑務所のほうがずっといいような気がする」

どうか福祉関係者には、こうした言葉を肝に銘じ、福祉のあり方というものを考え直してほしいと願います。まず変わるべきは、罪を犯した障害者のほうではなく、福祉に関わる人たちの意識、そして地域社会の意識なのではないでしょうか。

この十数年間、私は、複数の刑務所において、受刑者の社会復帰支援に関わってきましたが、センター開設後も、非常に悩ましいことがあります。障害のある受刑者に、センターを通して福祉の支援を受けてもらおうとしても、当の本人がそれを断ってくるのです。彼らの意見を集約すると、「福祉には自由がない」という一点に尽きます。「福祉施設に入れられたら無期懲役だ」と、そんな発言すら耳にしました。我が国の障害者福祉の立ち遅れを痛感せざるをえない言葉です。施設入所型の福祉が、いまだに続いているわけですから。

すでに海外では、罪を犯した障害者を地域社会で支えるための施策が大きく進んでいる国があります。この試みは、福祉制度の見直し、という域にとどまるものではありません。目的は、真の共生社会をつくること。根底にあるのは「社会的包摂(ソーシャル・インクルージョン)」の理念であり、いかなる人も社会から排除しないという、その国のあり方を示すマクロな取り組みなのです。

そうしたなかでなぜ、罪を犯した障害者への支援が重要視されるのでしょうか。

最も排除されやすい人を、最も手厚く社会が受け入れる。となれば、あまねく国民、誰一人として排除されることはない、という発想があるからです。

社会的包摂の実現を目指して

人は、罪を犯した障害者を見る時、どうしても次のようになりがちです。

司法関係者は彼らの障害に目を向け、福祉関係者は彼らの罪に目を向ける。そして多くの人たちは、自分と異なる点を必要以上に膨らませて見てしまう。その結果はどうなるか。障害のある彼らを特異な存在と捉え、忌避する心理が働くことになります。

一方で誰しも、自分が将来、障害者になったり、自分の身内が前科者になったりする可能性を否定できません。異質なものを排除する思考が蔓延した先にどんな社会が訪れるのか、想像してみてください。いつ自分や自分の家族が排除されてもおかしくない、そんな空恐ろしい世の中になっていくのではないでしょうか。そうならないためにも、社会的包摂という考えを実行に移す必要があります。

では、それには何が大切なのか。

まずはやはり、自分と他人との違いを受け入れるところから始めるべきだと思います。

どんな人であっても同じ人間、違いよりも共通点のほうが遥かに多い――。そう意識した途端、必ず他者との距離は縮まってきます。たとえそれが、累犯障害者と呼ばれる人たちだとしても。

山本譲司氏 プロフィール

1962年、北海道生まれ。佐賀県立三養基高校卒。1985年、早稲田大学卒業後、菅直人代議士の公設秘書となり、1989年、26歳で東京都議会議員に。都議二期を経て、1996年、国政の場へ。

衆議院議員二期目を迎えた2000年9月、秘書給与流用事件を起こし東京地検特捜部に逮捕される。2001年6月、懲役一年六ヶ月の一審判決を受け服役。受刑中は、障害のある受刑者たちの世話係を務める。

2003年12月、事件の反省と433日間の獄中生活を綴った手記『獄窓記』をポプラ社より出版。
同著が「新潮ドキュメント賞」を受賞。TBS系列にてテレビドラマ化される。

2004年11月、『塀の中から見た人生』(安部譲二氏との共著・カナリア書房)を出版。

2006年 9月、『累犯障害者』(新潮社)を出版。「講談社ノンフィクション賞」ノミネート作となる。

2007年 6月、『少年犯罪厳罰化 私はこう考える』(佐藤幹夫氏と共編著・洋泉社)を出版。

2008年 1月、文庫版『獄窓記』(新潮社)を出版。

2008年 2月、『続 獄窓記』(ポプラ社)を出版。

2008年 3月、『精神障害と犯罪』(共著・南雲堂)を出版。

2009年 1月、『犯罪からの社会復帰とソーシャル・インクルージョン』(共著・現代人文社)を出版。 

2009年 4月、 文庫版『累犯障害者』(新潮社)を出版。

2012年 4月、『覚醒』上下巻(光文社)を出版。

2014年 9月、『螺旋階段』(光文社)を出版。

2018年 2月、『エンディングノート』(光文社)を出版。

2018年 4月、『刑務所しか居場所がない人たち』(大月書店)を出版。

出所後は、東京都内の知的障害者入所更生施設に支援スタッフとして通うかたわら、執筆活動や講演活動(福祉団体、人権団体、経済団体、弁護士会、教育機関など)を行なう。また、福祉関係者らとともに、「障害のある受刑者の出所後のシェルター」づくりに取り組む。

2006年以降は、PFI刑務所「播磨社会復帰促進センター」や「島根あさひ社会復帰促進センター」の計画立案・運営に携わる。さらには、厚生労働省「罪を犯した障がい者の地域生活支援に関する研究」の研究員、および社団法人・日本社会福祉士会「リーガル・ソーシャルワーク研究委員会」の委員、そして「法務総合研究所」「人事院・公務員研修所」「矯正研修所」などの講師を務める。他に現在、更生保護法人「東京実華道場」の評議員、更生保護法人「同歩会」の理事、出所者支援機構「生活再建相談センター」の運営委員、「東京都更生保護就労支援事業者機構」の理事なども務める。

2010年9月、犯罪防止活動や犯罪者の更生に寄与した人物を賞する「作田明賞」の第一回最優秀賞を受賞。

2012年3月より、村木厚子さんへの国家賠償金をもとに設立された「共生社会を創る愛の基金」の運営委員。

2014年7月より、「再犯防止を考える官民合同勉強会」のメンバー。

2014年10月より、「触法障害者・高齢者支援法立法に関する検討委員会」の委員。

更生支援フェア チラシ [PDFファイル/6.83MB]

(参考)奈良少年院<外部リンク>

(参考)奈良少年鑑別所<外部リンク>

 

 

 

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