本文
奈良一刀彫
奈良人形は、平安時代の末期にはじまる春日若宮おん祭の田楽法師の花笠や島台を飾った彩色の人形がその始まりと伝えられています。
その後も奈良の人形づくりは、春日社などの祭礼や儀式をいろどるかたちで発展し、安土・桃山期には更に飛躍します。この時代、信長、秀吉、家康ら時の覇者に各地から献上の品が贈られました。
奈良からの献上品の筆頭は美しく色どられた盃台で、その盃台上を飾ったのが奈良人形の能人形であったと「多聞院日記」などに記録されています。
ちょうどこの時期は、中国渡来の散楽に始まった猿楽能が能楽として確立し、能人形が主体をなす奈良人形固有の形態が定まった時期でもあります。
江戸時代中ごろには、奈良人形師として13代続く岡野松寿が出てその名声を高め、さらに幕末から明治にかけて狂言師でもあった森川杜園が活躍し、奈良人形を芸術品の域にまで高めました。
このころから、奈良人形は、一刀彫ともいわれるようになり、その題材は、高砂などの能狂言もの、蘭陵王などの舞楽もの、鹿や十二支の動物もので、最近は、ひな人形も人気です。
奈良人形の魅力は、大きな鑿あとが作り出す簡潔な造形に綿密な極彩色を施して、不思議な調和を保っているところにありますが、このごろでは杜園の流れを汲む人ばかりでなく、個性的な作家も誕生しています。
↓制作の様子を動画でご覧いただけます。
奈良県ホームページ「奈良一刀彫」<外部リンク>