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奈良筆

更新日:2019年11月7日更新 印刷ページ表示

奈良筆

 我が国における毛筆の沿革は、韓から伝来して早くからあったものに違いありませんが、長穂の唐式筆は、僧空海が遣唐使であった頃、唐で製法を修め、帰朝後、大和国今井の酒井名清川に作らせ、嵯峨天皇と皇太子に献上したといわれています。その後この清川の子孫が今井で毛筆製造に従事しましたが、次第にその中心が墨の産地で寺院などの需要の多い奈良へ移行し、発達しました。

 空海が教えたという筆は、芯毛の腰を麻紙のような紙でしっかりと巻きかため、芯にうすく衣毛をかぶせて穂をつくる巻筆といわれるものです。
 今日のような無芯筆がつくられるようになったのは、江戸時代の元禄期になってからです。細井広沢が強弱の毛を組み合わせてまぜ込み、糊で固める水筆をつくり、その後はこの方法による毛筆が多くなり、各国各所で毛筆が製造されるようになりました。その後、水筆の他に捌筆も製造され、書道の興隆とともに書風・書法に合う大小・長短・柔剛、数百種に分かれる現在の毛筆となりました。

 昭和52年10月奈良筆は、「伝統的工芸品産業の振興に関する法律」により通産大臣の認定を得、伝統的工芸品として指定を受けました。
 今日の主産地は、奈良、広島、愛知、仙台、新潟などで、墨とは異なり、有力な産地が別にあるとはいえ、高級品を中心に我が国毛筆製造業発祥の地としての貫禄を依然保っています。

↓制作の様子を動画でご覧いただけます。

筆<外部リンク>

奈良県ホームページ「奈良筆」<外部リンク>