Special Contents

様々な表現者たちが奈良市東部をめぐり、
出会った人やものを通じて、
どのような表現が生まれるのか、
その様子をドキュメントした
スペシャルムービーとWebコンテンツです。

写真家 田淵三菜(前編)へ
ならのはるをめざす旅

ならのはるをめざす旅

2017年に『into the forest』で、第2回入江泰吉肌記念写真賞を受賞した写真家の田淵三菜さん。大和路の風景を撮り続けた奈良市出身の写真家・入江泰吉氏を顕彰する賞を受賞したのをきっかけに、彼女はこれまでに幾度も奈良に足を運んでいる。

本州に、少し早い梅雨入り宣言がされたころ、彼女は何度目かの奈良を訪れた。この旅は、自分と奈良のご縁をつないでくれた写真家・入江泰吉の足跡をたどる旅。入江泰吉にゆかりのある場所を訪ねていくうちに彼女は、土地の持つ自然環境が、自身の写真に大きな影響を与えていることに気がつく。

そして彼女は、奈良市街からバスで行ける距離に、遠い昔から奈良が育んできた大きな自然があることを知る。旅の視線は、春日山原始林から続く柳生街道へ
―――奈良の東へ向いた。

田淵三菜

田淵 三菜 Mina Tabuchi 写真家 Photographer

大学卒業後、群馬県北軽井沢の森での一人暮らしの生活をはじめたことをきっかけに、森の写真を撮りはじめる。
2016年、森の写真の作品群「into the forest」にて第二回入江泰吉記念写真賞受賞。2017年、写真集「into the forest」出版。
森の中で記念写真を撮る写真館、森の写真館3×7(サンナナ)主宰。

  • 【略歴】
  • 1989年 神奈川県生まれ 北軽井沢在住
  • 2012年 青山学院大学文学部史学科卒業
  • 2012年 北軽井沢の森に単身移り住む
  • 2016年 第二回入江泰吉記念写真賞受賞
  • 2017年 写真集『into the forest』出版

入江泰吉記念奈良市写真美術館

田淵三菜と百々俊二さん

「旅人だから、見えるものがある」

『入江泰吉記念奈良市写真美術館』館長で、写真家でもある百々俊二(どど しゅんじ)さんは、田淵三菜さんが写真家としての道を歩みはじめたときから、大切なアドバイスをしてくれる『奈良のお父さん』。入江泰吉の足跡をたどる今回の旅は、百々さんとの対話からはじまった。

百々俊二さん

- 百々俊二さん

「奈良生まれで、長く奈良市に住んでいた入江泰吉さんは、奈良の歴史的背景を踏まえたうえで、自分の生活空間のなかで写真を撮ったんだよね。大和路の仏像や風景、伝統行事を撮り続けた入江さんの写真は、いろんな人に癒しを提供してきたし、歴史あるものを再発見するきっかけを作ってきた。
でも、田淵さんはそこに引っ張られずに、旅人としての視点......田淵さんの足跡を残すように、あなたなりの体験を撮るのがいいと思う。住んでいると、身の回りにあるものは当たり前になっていく。旅人の視点は、暮らしている人にとっては、思いもよらない写真が撮れるかもしれませんよ」

- 田淵三菜さん

「私は奈良に住んでいないから、生活している人の視点にはかなわないと考えていました。でも、百々先生のお話を聞いて、旅人だから見えるものがあると思った。撮っているうちに"もう少し朝だったら良かったのかな"とか、天候や時期について思うことがあるけれど、そこも含めて、素直に撮っていこうと思います。"かなわない"って気持ちで撮るよりも、自分の気持ちを大切に撮影していくことで、この旅がより意味のあるものになると思う。
この季節の奈良は、渋くなりきった緑のなかに、新緑のうぶなグリーンが混ざっているちょうど良い時期だと思うんです。こんなふうに、私なりの自然を見る視点を大切にして撮影していきます。
写真家として自分が信じるものを撮り続けた、入江さんの人生がいいなと思うんです。その姿勢は、強烈に私の中に印象づけられていて、私が写真を撮り続ける次の一歩のきっかけになりました」

新薬師寺の隣にある入江泰吉記念奈良市写真美術館は、空にポンと瓦葺きの屋根が浮いたような外観が特徴。黒川紀章設計のどっしりと落ち着いた建物は、大きなガラス窓からたっぷり届く光が気持ちいい。展示された写真が放つパワーと、そこから感じる写真家の思いに寄り添いながら、心静かに、作品と対峙する時間が訪れる。

入江泰吉記念奈良市写真美術館

  • 住所:奈良県奈良市高畑町600-1
  • 開館時間:午前9時30分~午後5時(入館は午後4時30分まで)
  • 休館日:月曜日(休日の場合は最も近い平日)、休日の翌日、展示替え期間、年末年始
田淵三菜さん

入江泰吉旧居

入江泰吉旧居 田淵三菜さん

「大好きな風景を写真に残していくことが、
入江さんにとって、大切なことだったと思う」

「入江泰吉さんは、奈良で暮らしながら大和路を撮り続けた写真家で、住まいはとても大切なものだったと思うんです。今回は、その住まいを見てみたくて『入江泰吉旧居』を訪れました。建物の佇まいが本当に素敵で......この家で暮らして奈良を撮っていたなんて、それは最高な暮らしだよねって思いました(笑)」

入江泰吉旧居は、東大寺の旧境内、現在の東大寺境内に隣接した水門町にある。水門町は、いまも土塀や古い家など風情ある町並みが残っており、ゆっくりと奈良散策をするのも楽しいエリア。 入江泰吉が戦後から亡くなるまで暮らした住まいには、親交のあった志賀直哉や杉本健吉、白洲正子など、多くの客人を招いたという。客室やアトリエ・暗室のほか、入江作品として撮られた庭の植物たちを見学して、入江泰吉がどんなふうに、どんな思いで写真を撮ってきたのだろうと、思いをめぐらせる。観光客の多いエリアの中心にあるのに、室内はとても静かで、昭和時代の豊かな奈良の暮らしを感じるのにも、最適な場所。

山色清浄身

田淵三菜さんが、住まいのなかでも特に注目したのが、客間に飾ってある『山色清浄身』という書。中国の宋の時代に活躍した詩人・蘇東坡(そとうば)の詩に出てくる言葉に基づいているといわれており、"雄大な山の景色は、そのまま仏陀のすばらしい尊敬すべき姿だ"という意味。 この蘇東坡の詩には続きがあり、"谷川の水の流れも、仏さまの身体のようである。こんなにも美しい自然を、どうやって他の人々に伝えたらいいのだろう"という意味の言葉が続いている。 仏教にも造詣が深かった蘇東坡は、悟りの境地から自然を見ていたとも言われており、私たちの自然の見方とは違うのかもしれない。けれど、雑念や自我を持ち込まずに、ありのままに自然を見てみると、仏さまを感じるような澄んだ自然を目の当たりにできる......この詩は、こんな自然への視点を与えてくれる。

「入江さんが、『山色清浄身』という言葉が好きだったということを知って、元の詩を調べました。自然の美しさや摂理は仏さまと同じ。この美しさをどうやって人に伝えられるのか? という結びは、ずっと昔の人も、自然の美しさを伝えるのに苦労したんだなって、ちょっと身近に感じられた。
感動を人に伝えるのは難しくて、なかなか伝わらずにもどかしい思いをしたことは誰でもあるでしょう? 私は、写真を見せることで感動を伝えたいと思ったし、だからこそ、やっぱり写真を撮り続けたいと改めて感じた。それに、旅先で写真を撮るのは、自分のなかに強烈にその風景を印象付ける手段にもなると思う。入江さんも、大和路の大好きな風景を写真としてかたちに残して、その美しさを見せたいという気持ちと、その一方で、ご自身にとっても、好きな風景を写真に撮るという行為が大切なことだったと感じたんです。入江さんのおかげで、この言葉に出会えてうれしいです」

柳生街道

柳生街道 田淵三菜さん

「観音さまに朝日があたる姿を見たかったけれど、
間に合わなかった。でも、いっか。」

アスファルトの道が石畳に切り替わったら、それが柳生街道・滝坂の道の始まりの合図。江戸時代に剣豪たちが往来し、生活道路としても使われていたという石畳は、一つひとつの石が大きくて、どうしても大股歩きになって歩きづらい。けれど、300年前の人も同じようにこの道を歩いていたのだと思うと、今も変わらずに道が使われていることが不思議に思えて、もう一歩もう一歩と足を踏み出していける。

滝坂 田淵三菜さん

"滝坂"の名前の由来になっているのは、道沿いに流れる小さな滝たち。耳をすまさなくても、大きく聞こえる水の音と葉っぱたちが鳴る音に誘われて、足元に向いていた目線を上げる。そこには、大きな木の幹に小さな木の枝葉が伝い、さらにその上を苔が覆っている森の風景がある。優しさと怖さ、柔らかさと鋭さ......さまざまなものをはらんでいる森の風景を、ありのままに受け入れながら歩いていくと、いつの間にか無心になっていく。

滝坂の道には、『寝仏』『夕日観音』『朝日観音』『首切り地蔵』など、山岳仏教の信仰の対象となっていた石仏がたくさんある。鎌倉時代から室町時代に彫られて、人々の往来の目印にもなっていたという仏さまは、とても優しい表情をしている。

「夜明け前から歩きはじめて感じたのは、暗い時間帯は木の根っことかシダの怪しさとかに目がいくこと。太陽が昇って明るくなってくると、木々の生命力を感じる部分......たとえば、切り株に新芽が出ていたり、石畳のあいだに苔が生えていたり、カエルが足元を横切ったりするところに目線が移っていく。
橋を渡ってすぐの場所にある朝日観音さまに、朝日があたっているのを見たかったけれど、間に合わなかったみたい。でも、まあいっか。今の観音様もとてもきれい。
入江泰吉さんは、一期一会の風景を大切に撮影してきた人です。では、私の一期一会はどういうことなのか考えたときに、柳生街道を歩くなかで起こる心境の変化から見る景色も、一期一会の出会いだと思った。自分の心を撮るわけにはいかないから、風景との出会いを大切にしながら、自分の心の動きや自分でも知らなかった感情に向き合いながら写真を撮っていこうと思います。きっと普段なら無意識のうちにやっていることですが、入江さんとこの自然と向き合って、改めてそう感じました」

田淵三菜さん

「田淵三菜が撮り下ろした写真」

柳生街道 滝坂の道

  • アクセス:近鉄奈良駅前から忍辱山(円成寺)まで約35分
  • はじまり:高畑町 ... 近鉄奈良駅から「破石町」バス停まで徒歩21分 バス7分
  • おわり:円成寺 ... 近鉄奈良駅から「忍辱山(円成寺)」までバス・車で約30分