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無形文化遺産 題目立(八柱神社)

中世の芸能の姿を残す青年たちの成人儀礼
10月12日
無形文化遺産 題目立(八柱神社)

題目立(だいもくたて)はユネスコ無形文化遺産に登録された、八柱(やはしら)神社の祭りで奉納される芸能で、10月12日の宵宮祭の日に奈良市上深川町の青年たちによって演じられます。

源平の武将を題材とした演目を、出演者が登場人物ごとに台詞を分担して、独特の抑揚をつけて語る芸能で、出演するのは上深川の17才を中心とした青年たちです。上深川では17才になると神社の伝統的な祭祀組織である宮座(みやざ)に加入する慣わしがあり、座入りすることにより、はじめて一人前の地域の成員として認められると考えられてきました。題目立は座入りする年齢に達した青年による氏神への奉納芸能であることから、成人儀礼の性格をもつ行事と考えられます。近年は多くの場合、17才の者だけでは人数が足りず、年上の者が一緒に演じます。

上深川には「厳島」(いつくしま)「大仏供養」(だいぶつくよう)「石橋山」(いしばしやま)の3曲の詞章(ししょう)が伝わっています。このうち上演されるのは「厳島」か「大仏供養」で、「厳島」は8人、「大仏供養」は9人で演じます。またゾオク(造宮)といって八柱神社の社殿の建て替えや修理が行われると、その年から3年は「厳島」を奉納する慣わしになっています。

宵宮祭の夜、出演者は楽屋にしている神社西隣りの元薬寺(がんやくじ)を出て、長老の先導で「みちびき」を謡いながら、神社本殿下にある参籠所前に設けられた舞台に向かいます。ソウ(素襖)を着て立烏帽子(たてえぼし)をかぶり、扇を襟首に挿し、弓を手にするという出立ちで(役により若干相違があります)、舞台の周りの所定の位置につきます。

参籠所にいる呼び出し役が、「一番 清盛」と台詞の順番と役名を呼ぶと、出演者はそれに応じて、独特の抑揚をつけて、まず最初に「我はこれ」とか「そもそもこれは」という言い回しで始まる文句で自らの名を名乗ってから、台詞を語っていきます。

「厳島」では清盛が弁才天から長刀を授かる場面がありますが、基本的に所作はほとんどなく、出演者は所定の位置で静かに物語りを語り継いでいきます。この語りが題目立の大きな特色です。
曲の最後近くになると「フショ舞」が舞われます。出演者全員で「よろこび歌」を謡うなか、一人が舞台中央に進み出て反り返るようにして扇をかかげ、強い調子で足を踏みながら舞台を一回りします。短いものですが、それまでの静かな雰囲気から一転した動作で印象的な舞いです。

最後に「入句」を唱和し、再び長老の先導で「みちびき」を謡いながら退場します。

(写真は2009年のもの)

Information

無形文化遺産 題目立(八柱神社)

場所

八柱神社

住所

奈良市上深川町
題目立の歴史
題目立の歴史
起源は江戸時代か
題目立がいつごろ始まったか定かではありませんが、上深川には享保18年(1733)に、寛永元年(1624)ごろの詞章を書写し直した詞章本が残されていて、近世初期にはこの地で題目立が行われていたことがわかります。

題目立の名称は、1603年刊行の『日葡辞書』に「ダイモク」を「ナヲアラハス」と説明していることなどから、出演者が名を名乗り、それから順次、条目を述べ立てるように物語を語っていくことからきた名称ではないかと推測されます。

(写真は2009年のもの)
上深川町と八柱神社
八柱神社
上深川町と八柱神社
上深川町は、奈良市東部の緑豊かな大和高原の一画にあります。 上深川は、古くは興福寺・春日社の荘園「深川庄」に属する集落であったと考えられています。茶・蔬菜など農産物の生産が盛んな地域です。

八柱神社は、集落の中央付近の字堂ノ坂に所在します。 祭神は高御産日神・神産日神・玉積日神・足産日神・事代主神・大宮売日神・生産日神・御食津神の八神を祭るとされています。古くは八王子社と称し、末社に厳島神社・八坂神社があります。 また神社の西隣りには、元薬寺(古義真言宗)があります。
題目立の特色
題目立の特色
民俗芸能として貴重な存在
出演者の役は決まっていますが、簡素な舞台装置と簡単な採り物を持つだけで、仮装もせず所作も僅かで、舞台の所定の位置で各々の台詞を語っていくという内容は、芸能史の研究者から「語りものが舞台化した初期の形を伝えている」と評され、中世の芸能の姿をうかがわせるものとして高く評価されています。現在、題目立は上深川にしか伝承されておらず、そういう点でも貴重です。 またこれが観客よりも、あくまで氏神への奉納芸能としての形式を保っており、あわせて青年たちの成人儀礼の意味合いをもち、地域の人たちの支えを受けて上演されることも、この芸能の民俗的な特色として重要です。
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